恩師の辞任に「頭の中を整理しないといけない」
レオニード・スルツキ監督が去ったことで、本田圭佑の中には、少なからず考えるところがあるようだ。
12月8日に行われたエールディビジ第16節。0-0のドローに終わったフェイエノールト戦の後で、日本の報道陣を前に、胸中を吐露した。
「スルツキ監督が出て行く前の2試合は、僕が責任を託されたわけなので、そこで期待に応えられなかった。申し訳ないと思っています。そしてスルツキ監督は出て行った。では僕は、このまま(フィテッセに)居座るのかというところの、自分のモチベーション、自分のプライドみたいなところは、ちょっと頭の中を整理しないといけないなと思います」
スルツキ監督に請われ、本田は言わば“助っ人”としてフィテッセに加入した。だが、チームとして結果が出なかったことで、CSKAモスクワ時代の恩師は辞任を表明し、クラブを離れて行った。もちろん出口の見えない連敗は続いていたが、見方によっては、せっかく隠し球とでも呼ぶべき、かつての教え子である本田が加わったのだから、「2試合」で匙を投げずにもう少し粘っても良かったのかもしれない。
ロシア人の気質は読めないところがあるが、ただでさえ半年以上のブランクがある選手がチームにフィットするのに、さすがに「2試合」では足りないだろう。自身の加入間も無く、スルツキ監督が現場を離れたことで、本田がフィテッセの中で宙ぶらりんになってしまったように感じたとしても、無理はない。
加入1ヶ月だが…「いる意味は半減している」
監督交代によるチーム内での自分の立場、周りの自分を見る目の変化については、「問題」だとは思っていないという。
「問題は僕のモチベーションで、スルツキ監督がいなくなったことで、ここにいる意味がだいぶ半減しているので。その辺はちょっと、ここに来た時にも言いましたけど、冬の移籍も頭の中に入れているし、しっかりそこは考えたいなと思います」
本田は「競争すること自体は全然問題ないんです」と言う。だが、かつて3度のW杯でゴールを決めるなど、要所要所で勝負強さを見せつけ、幾多の修羅場をくぐり抜けてきた男も現在33歳。サッカー選手として、残された時間は少ない。
「引退に向かっているし、当然ながら死にも向かっているわけなので、10年前と今は僕自身の価値観が全然違う中で人生を生きている。1日の重みも違う。競争するのなら、自分がもっと意義を感じる場所で競争したいわけですから、それがどんな逆境であれ。そこにプライドを持っているので、難しいのは全然いいんですけど。ミランみたいのところで勝負するのは、3年ぐらい、全然いいんですけど。ここ(フィテッセ)でそれをやるのかどうか…」
「意義を感じる場所で競争したい」という思い
もちろん念頭には、来年の東京五輪がある。
「オリンピックで、まず試合に出て勝つために、今自分が何をやらないといけないか、トレーニング・メニューを考えながらこれまで設定してきて、プレースタイルも変えながらやっています」
オリンピック出場という目標を達成するためには、現実的に考えれば、このままフィテッセに残り、再び先発を確保するために「競争すること」が得策と言えるのではないか。
もちろんかつて戦った「ミラン」に比べれば、クラブの規模などフィテッセを物足りなく感じてもおかしくはない。だが、このフェイエノールト戦で、本田は81分から途中出場。スルツキ監督に代わったジョゼフ・オースティング新監督にとって、ベテランの日本人選手は構想外ではないようだ。
日本の五輪代表を率いる森保一監督も、フィテッセでプレーする本田が五輪代表の選考の対象であることを公言している。先月、11月21日に行われた移籍加入の会見で本田は、現在のエールディビジで試合に出場することについて「いいレベルの公式戦でプレーするというのは、魅力的だなという思いも含めて決断しました」と語った。
一方で、「引退に向かっているし、当然ながら死にも向かっている」中で、日々を過ごす「1日の重みも違う」中で、「自分がもっと意義を感じる場所で競争したい」という思いもある。その気持ちは、残された時間が少ないのであれば、自分自身が納得した「場所で競争したい」とも言い換えることができるかもしれない。
最後に、本田は「まだちょっとわからないですけどね。冬以降のことは」と言葉を残した。
思考を整理する時間が、少し、必要のようだ。
(取材・文:本田千尋【オランダ】)
【了】