前十字じん帯断裂からの復活は「砂漠横断のよう」
負ければヨーロッパリーグ(EL)のグループリーグ敗退が決まる可能性もあった一戦で、今季の公式戦でほとんど出場機会のなかった選手を起用するには勇気が必要だっただろう。しかも、その大胆な采配が勝利という結果をもたらすと信じ続けるのはもっと難しい。
ポルトに所属するカメルーン代表FWヴァンサン・アブバカルは、昨年9月に左ひざの前十字靭帯断裂というキャリアの終焉につながりなけない重傷を負った。今年5月に実戦復帰を果たしたものの、トップフォームに程遠いのは今季の限られたプレー時間の中でも明らかだった。
セルジオ・コンセイソン監督は辛抱強くかつてのエースの復活を待った。9月半ばの記者会見では、アブバカルの状態に問われて次のように語っていた。
「7ヶ月間の離脱があった後、彼のフィットネスは明らかに最高ではない。だが、それは普通のことだ。彼は改善するために全力を尽くしている。チームもアブバカルをなるべく早く起用できるコンディションに戻そうと、できる限りを尽くしている。7ヶ月間も立ち止まるのは簡単ではない。以前のようなフィジカルのレベルを取り戻すまでは砂漠を横断するようなもので、普通のことだ。時間の問題だよ」
あれから約2ヶ月、ヨーロッパリーグ敗退の危機に瀕したポルトを救ったのはアブバカルだった。28日にアウェイで行われたELのグループリーグ第5節・ヤングボーイズ戦で今季の公式戦初先発を飾ったカメルーン代表FWは、後半に2つのゴールを奪って2-1での逆転勝利を引き寄せた。まさに完全復活を印象づけるセンセーショナルな活躍だった。
序盤にセットプレーからあっさり先制されたポルトは、ボールこそ支配するものの決定機は少なく煮え切らない展開で前半を終えた。後半もなかなかいい形が作れないでいたが、75分に状況は一変する。
ピッチ中央で前を向いたMFオターヴィオが、FWムサ・マレガの動き出しを見逃さずペナルティエリア内へスルーパスを送る。ゴール左に抜け出したマレガは振り向きざまにグラウンダーのパスで折り返し、最後はアブバカルが右足で難易度の高いシュートをゴール右隅に流し込んだ。終盤でやっと生まれた貴重な同点弾だった。
喜び爆発。2ゴールで逆転勝利呼び込む
それから約3分後、ポルトは右コーナーキックのチャンスを得る。DFアレックス・テレスが蹴ったコーナーキックにニアサイドでオターヴィオが競ると、中央にいたマレガの背中に当たってボールはファーサイドにこぼれる。そこで待っていたのはアブバカル。落ち着いてコントロールし、豪快にシュートをゴールへ蹴り込んだ。
残り約10分での値千金の逆転ゴールに、ポルトの選手たちは喜びを爆発させた。アブバカルはユニフォームを脱ぎ捨ててベンチに一目散、控え選手たちもピッチに飛び出し、逆サイドでウォーミングアップをしていた面々も猛ダッシュでヒーローの元に駆け寄って歓喜の輪を作り出した。アブバカルは誇らしげにスタンドに向かって左胸のエンブレムを叩く。スタジアムを埋めたヤングボーイズのファンが沈黙する中、ポルトのベンチ前にはとてつもない熱が生まれていた。
アブバカルは2014年の夏からポルトに在籍している、ファンからの人気も高い選手だ。在籍2年目の2016/17シーズンにリーグ戦で13得点を挙げてブレイクすると、翌2016/17シーズンはトルコの強豪ベシクタシュにレンタル移籍した。
それから復帰したコンセイソン監督就任1年目の2017/18シーズンはエースストライカーとして15得点を奪い、ポルトのリーグ優勝に大きく貢献した。昨季は先に述べた通り前十字じん帯断裂の大怪我でほぼ1シーズンを棒に振ったが、指揮官からの信頼は揺るがなかった。
今季、序盤戦こそマレガやFWゼ・ルイスが好調だったものの、2人が徐々に調子を落とし、怪我なども重なると地元の記者たちは事あるごとにアブバカル起用の可能性について問いただした。その度にコンセイソン監督は「彼も変わらずオプションの1人だ。ふさわしい時は必ず来る」とかつてのエースへの信頼を強調していた。
とはいえ、出場機会がなかなか訪れない中で1月に開く冬の移籍市場で放出されるとの噂も出始めていた。一部のメディアでは、アブバカルにはかつてプレーしたフランスからの関心があり、得点力不足に苦しむサンテティエンヌが獲得に乗り出すのではないかと報じられていた。
指揮官の「誰にも言っていなかった」アイディア
なぜEL敗退の可能性があった大一番でリスクのある復活途上のストライカーを先発起用したのか。もし状態を見誤れば前線でブレーキになることだって考えられた。それでも起用の決断を下したコンセイソン監督の頭の中には、アブバカルに対する確信めいたものがあった。
「彼が前の試合で最初の交代選手として出場したのは偶然ではなかった。私はすでに彼を起用する正しいタイミングについて考えていた。私の頭の中に(先発起用は)アイディアとしてあったが、誰にも言っていなかったんだ。今日の試合は彼のためのもの。フィジカル的にも非常に強靭で、我々はこうした試合で経験豊富な選手を必要としていた」
今季はリーグ戦でもELでも出場時間「0分」だったアブバカルは、先週末24日に行われたタッサ・デ・ポルトガルの4回戦、ヴィトーリア・セトゥーバル戦に60分から途中出場していた。ゴールこそなかったものの、与えられた約30分はBチームで先発出場した1試合を除けば今季最長だった。
確かにセトゥーバル戦でのアブバカルはこれまでになく軽快で、攻撃の様々な局面に顔を出して質の高いプレーを披露していた。ワンタッチでのポストプレーや空中戦の競り合いも積極的にこなし、何より体のキレが見た目にも明らかだった。
コンセイソン監督は、あの30分間で確信を得た。アブバカルこそ、苦しい状況を打開するキーマンになる、と。28日のヤングボーイズ戦開始前の段階で今季のトップチームでの公式戦そう出場時間が44分にとどまっていたとしても目の前で光っていた可能性に賭けた。ELではアウェイゲームを2試合連続で落とし、もし敗れれば敗退もありうる状況で流れを変えるだけのクオリティと経験を兼ね備えた選手は少ない。
「我々は毎日彼と共に、あらゆるレベルで状態を認識している。アブッバカルは今日の試合で(力を発揮できるとの)保証を与えてくれた。フィジカルに優れ、経験を備えた選手が重要だった。アブバカルは我々と共に取り組む戦略に応じて日々成長している」
「まだまだやることはたくさんある」
就任1年目から苦楽を共にし、リーグ優勝の立役者にもなったストライカーの完全復活。コンセイソン監督にとっても喜ばしい瞬間だったに違いない。ポルトの指揮官は、日々の取り組む姿勢や態度をつぶさに見つめ、チームに貢献できると判断すれば揺るぎない信頼で応える男だ。
「アブバカルもチームの一員であり、ヒーローの皮を被った選手だった。我々はチーム全体を見て、誰がチームを大いに助けることができるのか全て知っている。(中略)私が選手に求めているのは、求められることを実現するための完全なコミットメントと意欲だ」
左ひざ前十字じん帯断裂の悲劇から1年以上が経った。5月に戦列復帰したものの、なかなか以前のような状態に戻らない。アブバカル自身ももどかしさを感じ、新加入選手の活躍やチームが勝ちを重ねる中で焦りも少なからず生まれただろう。だが、もう何も気にする必要はない。今後を左右する極めて重要な一戦で、これまで溜めに溜めたエネルギーを全て解放した。
試合後、アブバカルは「僕にとって非常に特別な瞬間だ。監督やチームメイト、医療スタッフに感謝したい。この瞬間も彼らのものだ。非常に困難な時間を過ごしたから、今日はすごくエモーショナルな試合だった。本当にこの試合に勝ちたかった」と、溢れ出る感情を吐き出した。
「次に進まなきゃいけない。ゴールを決めて勝利に貢献できて嬉しいし、苦労してきたことを全て忘れさせてくれた。でも、まだまだやることはたくさんある。僕は監督やチームメイトの信頼を獲得し続けるために一生懸命努力を続ける。グループリーグ最後の試合はホームで勝って、ELの決勝トーナメントに残りたい」
努力は必ず報われる。苦しい状況でも諦めることなくチームのために全てを捧げ、大怪我からの完全復活を遂げたアブバカルはそれを証明した。周りにポジティブな影響を与える献身と貢献が後押しとなり、勇気のいる決断が結果につながる。これは特定の個人だけに当てはまるものではなく、可能性は全ての人間に秘められている。
ポルトは勝とうが負けようが、試合後に必ずピッチ上で選手、監督、スタッフが全員輪になって円陣を組む。ヤングボーイズに逆転勝利した後のそれをスタンドから見ていて、これまで以上にチームの一体感が増しているように感じた。EL決勝トーナメント進出の可能性を残したからといって安堵してはいられない。次の試合はすぐそこに見えており、戦いは続く。次に「ヒーロー」となるのは誰だ。
(取材・文:舩木渉【ベルン】)
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