「東京五輪のことはあまり考えていない」
アスリートにとって一生に一度めぐってくるかどうかわからない、自国で開催されるスポーツ界最大の祭典へ。開幕まで8ヶ月あまりと迫った東京五輪にかける、胸中に駆けめぐっているはずの熱き思いを、18歳の久保建英はオブラートに包んでアウトプットしてきた。
「正直、いまは東京五輪のことはあまり考えていません。まずは目の前の戦いに集中していますけど、それでも今回の活動は東京五輪へ向けてのふるいというか、メンバー選考の一環だと思うので、その意味では気を引き締めて、しっかりとアピールしていきたい」
6月から主戦場としてきたフル代表ではなく、東京オリンピックを見すえたU-22日本代表に招集された11月シリーズ。広島市内で行われていたキャンプに、初日から2日遅れの13日に合流した久保は、練習を終えた後の言葉に熱さと冷静さを絶妙のバランスで同居させていた。
同じくフルからU-22代表へ軸足を移し、久保とともに13日から合流。練習後に「この段階になると込みあげてくるものがあるというか、母国で開催される五輪にはやっぱり特別なものがある」と熱く語った21歳の堂安律とは、対照的なオーラをまとっていた。
U-22コロンビア代表とのキリンチャレンジカップ2019へ臨む22人を、森保一監督は「現時点におけるベストメンバー」と位置づけた。高い評価を与えられても、久保は「どのような質問が(森保監督に)あったのかわからないですけど」と断りを入れたうえで、こんな言葉を紡いでいる。
「その時々のベストメンバーを毎回選ばれていると思いますし、今回選ばれたことに自分だけでなくみんなが誇りをもって、なおかつ責任を感じながらプレーすることで、観に来ていただける方々に『いいチームだ』と思ってもらえるような、いいサッカーができればと思っています」
久保が考える「強いチームの条件」
ただ、広島の地で刻まれた今回の軌跡を注意深くたどっていくと、熱さが冷静さを上回っている言葉を残していることに気がつく。たとえばベンチ入りできるメンバーが18人と、自身が経験したフル代表の戦いに比べて5人も少ない五輪本番へ、久保はこう言及していた。
「五輪に関しては枠が少ないなかで、その枠を争っていくものだと思っていますし、その枠のなかに入りたいと思った気持ちが変わったことはありません。いまはU-22代表の選手としてこの場にいるわけで、特に自分がどこ(のリーグ)で何をしているのか、といったことなどに関係なく、みんなで切磋琢磨していきたい。言いたくないことも言い合えるような関係があることが強いチーム(の条件)だと思うので、お互いに遠慮せずにいろいろなことを言い合っていけたら、と思っています」
果たして、U-22日本代表の国内におけるお披露目試合にもなった17日のU-22コロンビア代表戦は、エディオンスタジアム広島のスタンドを埋めた約2万6000人のファンやサポーターの目の前で勝利を目指していくうえで、図らずも選手間で侃々諤々の意見が飛び交う試合展開となった。
キルギス代表とのカタールワールドカップ・アジア2次予選を戦った敵地ビシュケクから、強行スケジュールを押して広島入りした森保一監督は、不在中の指揮を託した横内昭展コーチとも相談したうえで、U-22日本代表が慣れ親しんできた[3-4-2-1]システムのもとで選手たちを送り出した。
注目されたシャドーには左に久保、右には堂安が、1トップの上田綺世の背後で左右対のかたちで並んだ。フル代表でも2試合、合計でわずか26分間しか共演していない2人のレフティーは、ヨーロッパ仕込みの個人技と縦への推進力を東京五輪世代にもたらした。
開始7分に久保が、2分後の9分には堂安が相手ペナルティーエリアに近いエリアで、個の力を生かした突破からファウルを獲得する。それぞれが放った直接フリーキックがゴールネットを揺らすことはなかったが、初めて先発でそろい踏みを果たした俊英コンビは大きな期待を抱かせた。
ハーフタイムに交わした意見
しかし、時間の経過とともにゴールへの予感が萎んでいく。左右のウイングバック、菅大輝と菅原由勢はマイボールになっても高い位置を取れず、結果として前線は上田とシャドーの3人だけという状況が長く続いてしまった。
「前半はお互いにチャンスらしいチャンスもなく、という感じでした。そのなかで、攻撃に厚みをかけるのが前半はちょっと足りなかったのかな、と。厚みということは人数だと思うし、前半はもっと人数をかけないと攻撃は面白みもなく、相手にも圧力をかけられないと思っていました」
ベンチ前のテクニカルエリアには横内コーチが立ち、後方では森保監督が俯瞰的に戦況を見つめている。具体的な修正が施されないまま、両チームともに無得点で迎えたハーフタイムのロッカールームの様子を、久保はこんな言葉とともに明かしてくれた。
「守備のときは5バック気味でもいいんですけど、攻撃のときにも5バック気味になっちゃうのはもったいないよね、という意見がけっこう出ていました。もちろんウイングバックのせいにはせずに、彼らを押し上げるにはどうすればいいのかを考えなきゃいけない、と。広島との練習試合ではできていた場面も多かったので、いろいろな状況にもよりますけど、意識ひとつで変わるのかなと自分は思っています。ウイングバックが上がることによって自分たちも中でボールを受けられるようになるし、自分としてはそっちの利益を得たかったので」
しかし、具体的な策が講じられないまま突入した後半で、47分と59分に連続失点を喫する。直後にシステムが[4-2-3-1]へスイッチ。左から久保、堂安、途中出場の三好康児とすべて左利きの攻撃的な選手が並んだ2列目は、左右のサイドバックの攻め上がりも得ながら、攻撃に厚みをもたせていったがゴールは遠かった。
後半終了間際にはボランチの田中駿汰に代わり、FW前田大然を投入。キャプテンの中山雄太をアンカーにすえる[4-1-3-2]とも、あるいは[4-1-4-1]とも映る布陣で攻勢を強めたが、最後まで相手ゴールをこじ開けられなかった。
久保と堂安の連係は「ポジティブな部分も見えた」
フル出場した久保は80分に、左サイドからマイナス方向へ、浮き球のパスを堂安へ供給。胸トラップから利き足とは逆の右足から放たれた堂安のシュートは相手キーパーの正面へ飛んでしまったが、スタンドを沸かせた数少ないシーンのひとつを演出した。
「2人だけでプレーしているわけでもないので。自分としては誰とでも関係なく、しっかりと人に合わせることが得意だと思っているので。誰が出てもその特徴をしっかり理解したうえで、それに合わせた柔軟なプレーを心がけています」
身長173cm体重67kgの久保に対して、堂安は身長172cm体重70kg。サイズがほぼ同じなうえに左利き同士でもある堂安とはシンパシーを覚えると同時に、プレーエリアやスタイルが重なってしまうのではないか、とも危惧されていた。
そうした声を一蹴し、堂安をして「タケ(久保)との連係を含めて、ポジティブな部分も見えた」と言わしめた久保は、中央から左寄りのエリアでチャンスメークに比重を置くことで、堂安や三好、後半開始とともに投入されたFW小川航基と共存している。
「左だったことで全体的にシュートにまで、というプレーは難しかったですけど、どちらかと言えば中に入って何本か惜しいシーンには絡んでいたので、左サイドでできることはやれたと思う」
もっとも、前半から球際の攻防や1対1の局面で後塵を拝し、ホームのアドバンテージを背に受けるよりも、逆にホームの大声援をプレッシャーに感じてしまったかのように映った。不本意な90分間に対して、試合後のロッカールームで森保監督はこんな言葉を選手たちに問いかけている。
「我々がもっている目標が私だけのものなのか、それともチーム全体で共有しているものなのか」
目標とはチームが立ち上げられた2017年12月から指揮官が掲げてきた、東京五輪における金メダルの獲得。1968年のメキシコ五輪の銅メダルを越える快挙に対して、チーム全員が思いを新たにしたなかで、久保の答えはすでに決まっていた。
「東京五輪だから、とかは関係なく、出場するからには優勝するしかない。同年代の選手たちには負けられないし、そうやって自分たちにプレッシャーをかけていきたい」
「『あのときに負けてよかった』と思えればいいかな」
帰国する直前の10日に行われた、ビジャレアルとのラ・リーガ1部第13節。2-1で迎えた53分に出場10試合目、時間にして498分目で待望の初ゴールをゲットした。
「数字で結果を残さないと心ない言葉とかも見えたりしますし、その意味では自分の結果で周囲の反応を変わらせるしかないと思っていた。そういうことがひとつできて、よかったと思っています」
気持ちも新たにU-22日本代表へ、約8ヶ月の歳月をへて復帰。東京五輪への本格的なスタートを切ったエディオンスタジアム広島と久保は、不思議な縁で結ばれている。2017年11月26日。FC東京とプロ契約を結んだばかりの当時16歳の久保が、J1デビューを果たしたピッチがここだった。
1-2と勝ち越された直後の67分に、FW永井謙佑に代わって投入された思い出深い一戦はそのままのスコアで敗れている。悔しさを募らせた黒星からスタートしていま現在があると考えれば、あくまでも久保の個人的な視点になるが、コロンビアに喫した完敗も来夏につながっていくかもしれない。
「(代表の)リストに入れたのが一番の収穫。これからも継続させていくだけだと思う」
個人的な収穫を問われた久保は、激しい競争を勝ち抜いていくうえでのスタートラインに立ったことを挙げた。ならば、チームとしての収穫は何だったのか。本大会に臨む18人のなかに名前を連ねている、という前提のもとで、久保は意外な言葉を口にしている。
「強いてよかった点をあげるとすれば、負けたことでみんなに危機感が生まれたことだと思います。次に招集されるまでにそれ(危機感)を各々がチームで示して、もっと成長していって、本番で『あのときに負けてよかった』と思えればいいかな、と」
コロンビア戦後に慌ただしく帰京した久保は、その日のうちに次なる戦いが待つスペインへと飛び立った。広島に滞在した6日間の最後には言葉を包んでいたオブラートの数ヵ所に自然と穴が開き、自国開催の五輪へ抱く熱き思いが顔をのぞかせるようになっていた。
(取材・文:藤江直人)
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