新天地での滑り出しは上々
「東京五輪に出るんじゃなくて、活躍することが大事だなと思った。コパ・アメリカに出て、『このまま日本でやっていたら、五輪に出れたとしても、いざ戦った時に勝てないな』と感じた。それが海外移籍を選んだ1つの大きな要因ですね」
7月下旬に松本山雅からポルトガル1部・マリティモへ赴いた前田大然。移籍から約3カ月が経過し、公式戦12試合出場3ゴール(11月12日現在)とまずまずの結果を残している。リーグ戦はここまで全試合に出場し、8月25日の第3節・トンデラ戦からスタメンを確保。11月10日のポルティモネンセ戦まで9試合連続先発出場するなど、主力の座をほぼ勝ち取ったといっていい状態だ。
ポルトガル3強ともすでに2度対戦。最初は8月11日のスポルティング・リスボンとの開幕戦だった。
この試合は後半12分からの途中出場で2トップの一角を担った。「ポルトガルリーグのことを全然分かんない状態だったんで、先入観がなくて逆によかった。強かったですけど、惜しいシュートもあったし、『行けるんちゃうか』と思いました」とポジティブな感触をつかんだという。
そして2度目は10月30日。中島翔哉所属のポルト戦だ。4-1-4-1の右サイドハーフで先発した前田は献身的守備とタテへのスピードを前面に押し出した。途中出場した中島翔哉からボールを奪って一気にカウンターに持ち込むシーンも披露。1-1のドローに終わったものの、フル出場でしっかりと存在感を示した。
「ポルトのような強豪相手の試合だといろんな人に見てもらえる。欧州にいるとステップアップのチャンスも広がりますね」と本人も前向きに話していた。こうした現状を踏まえると、新天地での滑り出しは悪くないと言っていいだろう。
「日本人が沢山いるリーグじゃないところがいい」(前田)
そもそも前田大然がポルトガルに赴いたのは「日本人が誰もいないところに行きたい」という思いがあったからだという。
「日本人が沢山いるリーグじゃないところがいいと代理人に伝えて、探してもらいました。でもこっちから何のアクションも起こしていないマリティモから突然、オファーが来たんです。それが7月半ば。6月に子供が生まれたばかりで正直、迷いましたけど、1週間くらいで決めて、すぐポルトガルへ飛びましたね」
7月20日のサンフレッチェ広島戦翌日に単身で出国。約1日がかりでクリスティアーノ・ロナウドの出身地・マディラ諸島のフンシャルに到着し、ホテル暮らしをしながら練習に参加するようになった。
だが、練習場のピッチは粘土質で雑草が生えているような状態。クラブハウスの設備も整っておらず、体をケアする体制も万全ではなかった。松本山雅もJ1のビッグクラブに比べると不備な部分はあるが、「松本の方が断然いいです」と本人も語気を強めるほど過酷な環境を強いられたのだ。
意思疎通も簡単にはいかなかった。日本語通訳もいなければ、サポートしてくれるスタッフもいない。前田は仲良くなったブラジル人FWマルセリーニョにヌーノ・マンタ・サントス監督の指示を分かる範囲で教えてもらいながら、「前後左右」や「1タッチ」「2タッチ」といった片言のポルトガル語を覚え、ピッチ上で実践もしようとしたが、思うようにならないことばかり。紅白戦でもFWの2~3番手扱いで、主力組にはなかなか入れてもらえなかった。
「合流直後は監督から戦力として見られていないように感じました。でも開幕1週間前の練習試合でいいパフォーマンスを出せたんです。自分は前の選手なんで、とりあえずボールを呼び込んで、来たらゴールへ向かっていくという感じでプレーしたら、多少は認めてもらえるようになった。僕自身も手ごたえを感じましたね」と彼は言う。
「反町さんには感謝しています」(前田)
大きな転機になったのが、初スタメンのトンデラ戦で初ゴールを挙げたこと。
「ヘディングだったんですけど、松本ではあまりない形だった。岡崎(慎司)さんもそうですけど、頭で点を取れる選手は嗅覚に優れているということ。それを示せたのはよかったです」と自信をのぞかせたように、この一撃が大きなインパクトをもたらしたのは間違いない。
そこからコンスタントに先発に名を連ねるようになり、9月23日の第6節、スポルティング・ブラガ戦と10月21日のタッサ・デ・ポルトガル(カップ戦)、ベイラ・マル戦でもゴール。現地メディア関係者から「ダイゼンは速くて点の取れるいい選手」と高評価を受けるまでになった。
「最初は4-4-2の2トップで使われていたんですけど、5試合目くらいから4-1-4-1の右サイドに回されました。松本でも2シャドーの右をやっていたし、コパ・アメリカでも4-2-3-1の右サイドをやった経験があったんで、戸惑いはなかったです。
サイドはとにかくグイグイ行って、最低でも相手1枚ははがすことを求められます。僕の場合は簡単に味方に預けてリターンをもらいスピードで行く感じ。ドリブルする前にスピードで抜けてる時が多いですね。ブラガ戦のゴールにつながった時も、サイドバックからのタテパスに抜け出して相手に倒されてPKをもらった形でした。あれは自分にとっての理想の崩し。そういうのをもっと増やせれば得点数も増えると思います。僕は攻撃の仕掛けや打開力を伸ばしたいと考えてここに来た。松本にいた頃よりはその回数が増えたし、少しずつできることは多くなっているかなと感じます」と前田は目を輝かせる。
一方、松本山雅で反町康治監督から叩き込まれた前線からのハイプレスやハードワーク、球際や寄せの厳しさといった守備の部分も健在だ。その強みは新天地でも大いに生かされている。
「外国人FWを見ていると、前からの守備ができない選手が多いですよね。それが身に付いているのはすごく大きい。松本では守備ができなければ試合に出られなかったし、日々の積み重ねの結果、無意識にハードワークできるようになった。今の監督が僕を使うのもその強みがあるからだと思う。そういう意味で反町さんには感謝しています」(前田)
久保や堂安らがライバル。東京五輪で活躍するためには?
武器である守備力を生かしつつ、攻撃面の個の打開力と技術、フィニッシュの精度を研ぎ澄ませていくことで、最終的にはシーズン通算ゴール数を10点まで引き上げること。それが今の前田大然の当面のテーマだ。
「マリティモに来た時、会長から『10点取ってくれ』と言われたんで、まずはそれをクリアしないとダメかなというのはありますね。今のポルトガルリーグを見ると、ドイツ・ブンデスリーガのレバンドフスキみたいな突出した点取屋はいなくて、いろんな選手が点を取ってますよね。
僕自身も名前を売るチャンスはあると思います。ポルトとかビッグ3の試合でゴールできれば、移籍のチャンスも見えてくるのかなと感じます」と本人も意気込みを新たにする。来季はより格上のクラブへ赴くべく、まずは結果にこだわるという。
その前に2020年夏の東京五輪がある。森保一監督率いるU-22日本代表のコアメンバーの1人に位置付けられる前田だが、最終登録メンバー入りできる保証はない。マリティモで右サイドを主戦場としている彼にしてみれば、堂安律や久保建英らA代表入りしているメンバーもライバルということになる。オーバーエージ枠の中島翔哉らを加えると、さらに狭き門になるのは確か。いかにして熾烈な競争を勝ち抜き、大舞台で活躍する夢を果たすのか。そこはここからのアピール次第だろう。
「右サイドは確かにライバルが多すぎますね(苦笑)。でも堂安君や建英、安部(裕葵)ちゃんとかうまい系が圧倒的に多くて、僕みたいなスピード系はあまりいない。それに自分の場合は前線もやれる。そういう独自性を突き詰めて、確実な武器を持てれば、チャンスはあると思います。
もちろん東京五輪がサッカー選手としての全てじゃないし、過去の五輪で落とされて成功している選手もいますけど、僕は出られるならぜひ出たい。有名人になるチャンスでもあるから(笑)。ウチの子供にもいずれ『パパは五輪に出たよ』って言えたらいいんで、貪欲に目指したいですね」
10月中旬から現地で一緒に生活を始めた妻子の存在を力にして、前田大然はさまざまな困難に立ち向かうつもりだ。8カ月後の大舞台で日本屈指のスピードスターがブレイクできるか否か。その動向を興味深く見守りたい。
(取材・文:元川悦子【ポルトガル】)
【了】