勝敗を超越した感動
これまで、プレミアリーグを何試合テレビで見てきたことだろうか。もう正直、数えきれない。ただイングランドにおけるスタジアム観戦数ならギリギリ数えられる。100試合程度のはずだ。大学生の頃にイングランドに1年留学していた時期以外、基本的に日本に住んでいる20代にしては、結構見ている方ではないだろうか。番記者や現地在住のコアなサポーターには負けるが、それなりにスタジアムで試合を見てきたつもりだ。
その100試合の中には、マンチェスター・ユナイテッドに所属していた日本代表MF香川真司がノリッジを相手にハットトリックを決めた試合や、レスターシティに所属していた日本代表FW岡崎慎司がニューカッスルを相手に記憶に残るオーバーヘッドを決めた試合もある。
異国の地で、日本人が活躍する姿を目の当たりにできると、喜びと誇らしさで胸いっぱいになる。海外にいくと、日本人であることを強く自覚させられるので、同郷の選手が活躍することで得られる感動はなおさら高まるのだ。
一方で一番感動した試合が、日本人がらみの試合かというとそうでもない。なんなら筆者が応援しているマンチェスター・ユナイテッドが、勝つことすらできなかった試合だ。それでもこれまで見た試合の中で、いや28年という人生の中で、一番感動した瞬間がその現地観戦にはあった。
2013年チャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦の2ndレグ、マンチェスター・ユナイテッド対レアル・マドリーの一戦だ。
前提として、筆者はクリスティアーノ・ロナウドがきっかけで、マンチェスター・ユナイテッドが好きになったタイプだ。その背景などは、涙と絶叫、そして今も…。少年の人生を変えた史上最も劇的なPK戦、CL決勝マンU対チェルシーの記憶このコラムで書いているので、もしよければ読んでいただけると嬉しい。
ロナウドと私。旅路はマデイラ諸島まで
さて、私にとってロナウドは特別な存在だ。彼がいなければここまでサッカーに、プレミアリーグに傾倒することはなかっただろう。だからこそ、彼がクラブワールドカップの一員として、来日した際には、当時高校生で直前にセンター試験が控えているにも関わらず、迷わず大阪から横浜まで遠征して見に行ったし、大学の卒業旅行では、ロナウドの故郷であるマデイラ諸島にも足を運んだ。
ちなみにマデイラは、ヨーロッパ諸国にとっての保養地で、日本で言うところのハワイやグアム的な立ち位置になる。基本的にはビーチしかないものの、観光地であるため、観光客が訪れるような表通りは華々しく彩られている。
ただし少し道を逸れて路地裏に入ると裕福とは言い難い、薄暗い住宅街も目の当たりにする。また飲食店や電気屋などあり一通りなんでも揃うが、置いてあるものが型落ちの商品が多い。どこか昭和的な、少し時代から取り残されたレトロな日本の温泉街を想起させられた。
ただその島の雰囲気は筆者にとって興味深かった。
「こんな『何かが足りない』環境、あるいは貧富の差が可視化されやすい環境だからこそ、ロナウドをストイックな怪物に育てあげたのかしら?」
などと、なんでもない観光地とロナウドを結びつけ、思いをはせるだけで2日間も時間を過ごせたくらいには、ロナウドに愛着を感じていたのだ。
ユナイテッド対マドリー。その試合内容は?
話を当の試合に戻そう。そんな私にとって、2013年のユナイテッド対マドリーの一戦は特別な試合だ。というのもアイドルであるロナウドが、ユナイテッドのホームスタジアム、オールド・トラフォードに初めて帰還する試合なのだ。当時の私はまだイングランドに留学していたこともあり、迷わずスタジアムに足を運ぶことを決めた。
試合内容もよく覚えている。この日のアレックス・ファーガソン監督は本来左ウイングのライアン・ギグスを右サイドで、右ウイングのルイス・ナニを左サイドに配置する奇策を用いた。今思うと偉大な指揮官はビッグマッチでよくサプライズ起用をとっていた。
チームの重心はやや後ろだったが、両翼がサイドラインを背にした状態から、半身で、利き足でボールを受けて、体を入れながらドリブル突破を図るプレーが成功するシーンが多かった。このプレーをさせるために、左利きのギグスを右で、右利きのナニを左サイドで起用したのかもしれない。いずれにしても試合は均衡していた。
が、56分のナニの一発レッドでその均衡が崩れた。48分のセルヒオ・ラモスのオウンゴールでユナイテッドが先制していたものの、数的不利の悪い流れを止められず、66分にルカ・モドリッチ、69分にクリスティアーノ・ロナウドに決められて1-2の敗戦。ベスト8進出を逃してしまった。
人生最高にエモーショナルだったシーンとは
と試合内容をあっさり書いたが、実は一番震えた瞬間は試合中ではなく、試合前の出来事だった。
この日、オールド・トラフォードには、ライターとして足を運んでいた。まだ大学生だったが既にメディアでコラムを書かせていただいていたのだ。ただメディアの仕事には当然慣れておらず、先輩のライターに少し手伝ってもらってメディアとしての受付を終わらせたことをよく覚えている。
受付が終わり、メディア用の自分の名前が書かれたネックストラップを受け取った時には既に軽く興奮していた。これまでにも何度かオールド・トラフォードには足を運んでいたものの、取材としては初めてだ。
「初めて、好きなチームのスタジアムで、取材をする」という事実に、若かりし頃の筆者は完全に浮足立っていた。そもそも、高校生の頃からメディアの仕事を志しており、当時の夢は、「オールド・トラフォードで取材をすること」である。ささやかな夢が叶った瞬間なのだ。胸の高鳴りを抑えることのほうが難しかった。
メディアルームで少し作業を終わらせた後、記者席に向かう。自分に割り当てられた席に座ると、隣にはBBCの大物フィル・マクナルティ氏がアシスタントらしき人と共に座っている。とんでもないところに来てしまった。この時点では完全に興奮状態である。そうこうしているうちに試合開始が近づき、スタジアムDJが、両チームの選手名を発表しはじめる。
この瞬間を私は待っていた。
そもそも気になっていたことがある。マンチェスター在住のファンが、ロナウドの帰還を歓迎するのか、否か、だ。
原則的にイングランドのファンは、他のチームに移籍した選手に対してブーイングでお出迎えする。特に嫌われてしまった選手だと、試合中ずっとブーイングなんてこともある。
ただロナウドはプレミアリーグやチャンピオンズリーグ優勝など、様々なタイトルをユナイテッドにもたらした功労者であり、当時の最高額の移籍金を残してマドリーに旅立った背景もある。「多少のリスペクトはあるはず」と思いつつ、どうなるかと、ファンの反応をうかがっていた。
ユナイテッドの先発の選手たちのコールが歓声と共に終わる。続いてマドリーの選手紹介が始まる。2番のラファエル・ヴァランから始まり、4番、5番、6番、10番…と、背番号順に紹介が続く。ユナイテッドの紹介に比べるとスタジアムは静かだ。
そして、ふと気づく、「あれ、7番飛んでない?」と。20番ゴンサロ・イグアイン、22番アンヘル・ディ・マリアまで、スタメン選手の紹介が終わる。ただ一人を残して。
一呼吸置いて、スタジアムDJが叫ぶ。
「Welcome back No.7 Cristiano Ronaldo(おかえりなさい。ナンバー7。クリスティアーノ・ロナウド)」
その直後、7万5千人による割れんばかりの歓声と、拍手が、オールドトラッフォードに鳴り響いた。これから戦う敵選手への拍手喝采は異例だ。ユナイテッドファンは、ロナウドに対して、明確にリスペクトの意志を表明したのだ。
メディアの人間としては、完全に失格かもしれないが、特別な雰囲気に当てられてしまったこともあり、私は涙を止めることができなかった。
2度目のロナウド帰還試合を経て振り返る
さて後日談なのだが、昨シーズン、ロナウドは二度目になるオールド・トラフォード帰還を果たす。グループステージでマンチェスター・ユナイテッドとユベントスが対戦したのだ。
その頃の筆者はフリーランスとして独立直後、貯金は正直心許なかったのだが、使命感にかられチャンピオンズリーグのグループステージの抽選会が終わるやいなや航空券を予約した。
2018年10月24日、マンチェスターに飛び、今度は観客席で、ロナウドの来訪を見守った。
ただ結論だけ言うと、この日のスタジアムDJは背番号通りにロナウドの名前をカウントし、特別な歓迎はなく、ファンの歓声も正直それなりだった印象だ。
このユベントス戦も行ったことで改めて思うのだが、やはり6年前の初帰還のスタジアムの雰囲気は本当にどこか特別で、私だけでなく、スタジアムに訪れた多くのファンの心が揺さぶられた瞬間になったのではないかと思う。
さて、日本に住んでいる限り、現地に見に行くのは非常にハードルが高い。私の周りには、プレミアファン向けのイベントを主催している関係で、熱狂的なファンが多く、サラリーマンでも1泊3日などの強行日程で行く者もいる。ただそんな超短期滞在でも20万円くらいはかかってしまうので、簡単に渡英することはできない。
なお筆者もサラリーマン時代に2日だけ有給をとって、2泊4日でイギリスに行ったことがあるのだが、当然ながらとても疲れた。もう少し、最低でも5日程度は滞在したいというのが本音だ。ただそうなるとなんだかんだ30万円近くかかってしまう。小さな金額ではない。
ただ、もし「これだ」という試合があり、財布の状況としても問題なければ、思い切って現地に行ってみて欲しい。私にとって、あの歓喜の渦に包まれた瞬間は、間違いなく人生で最もエモーショナルな瞬間になった。読者の皆さんにも、あれに近い感動を味わってもらえれば…と思う。
(文:内藤秀明)
【了】