冨安を苦しませたブレシアの戦略
試合終了後、冨安健洋はマリオ・リガモンティのピッチの上に座り込んだ。1-3から大逆転勝利を演じたボローニャの他の選手たちも、前半からプレスに走り回ったブレシアの選手たちも然りだ。
夏の暑さがぶり返すところに、山の近くであるリガモンティは余計気温が上がる。加えて、ビハインドを跳ね返すために頑張らなければならなかったという展開。その中にあって奮闘していた冨安だが、3失点を喫したチーム同様、前半のプレー内容はあまり芳しいものではなかった。
展開の読みの良さに加え、果敢に前から相手のアタッカーを捕まえに行くアグレッシブな姿勢が彼の持ち味だが、対面のエリアに来た相手の動きを止め切れていない。クリアにも時折迷いがあり、これまでの試合と違ってパスを正確に回せていない。カタールワールドカップ・アジア2次予選のため、日本からミャンマー経由で戻ってくるという長旅は負担をもたらすのか。「やはり見るからに疲れている」とボローニャ番の地元記者は語っていた。
もっとも冨安が苦戦したのは、長旅による消耗だけが理由ではないような印象がした。相手のブレシアは、彼を含めたディフェンスラインを攻略するための戦術を綿密に練っていたのだ。
ボローニャは、最後尾からのビルドアップを重視している。両足が均等に扱えて視野も広い冨安はその上で重宝され、移籍後早速活躍したのはこれまで見てきた通りだ。だが今回、ブレシアのエウジェニオ・コリーニ監督は、そうした能力を十分リスペクトした上で、チームの骨格ともいうべき最後尾からの組み立てを壊しにかかったのである。
日本人DFは相手に研究された
基本システムは4-3-1-2だが、ボールを保持していない際は前線のFW2枚は横に広がり、さながら4-3-3のようなコンパクトな組織を作る。DFラインはしっかりと押し上げ、中盤をコンパクトにしてパスコースを塞ぐとともに、右サイドバックの冨安にはフロリアン・エイがプレスを掛けた。そうした上で、あえてボローニャの最終ラインにボールを持たせ、苦し紛れのパスを出させてボールを刈り取るという戦略を取ったのだ。
冨安らのボールタッチはどんどん増えて、パスの本数も多くなるが、肝心の前線にまでには行き渡らない。その一方で、ブレシアの中盤の選手にどんどんボールを拾われる。そして攻守が入れ替わると、サイドに素早く人数を掛けてくるのも彼らだ。2トップの一角が積極的にサイドに流れ、冨安の前には2人、3人と敵が増える。守備の狙いを絞り切れず、自身の受け持つサイドでやられていた印象は拭えなかった。
いわば冨安は、今シーズンになって初めて相手に研究をされたということになる。それを前にパスミスも増え、一つは致命的になった。37分、パスミスからボールを奪われてカウンターを喰らい、奪われたCKから3失点目につながってしまった。
これがインテル時代の長友佑都であったなら、翌日の地元紙にねちっこく追求され、直接失点に関わったわけでなくても猛批判を受けていたところだ。2戦を続けて良いパフォーマンスを続けていた冨安だったが、細かいプレーを一度でも雑にしてしまうと命取りとなるのがセリエAの厳しいところ。当然相手は、当たり前のように戦術を突き詰めてミスを誘ってくる。今後評価を高めていけるかどうかは、シーズンを通して波を感じさせないパフォーマンスができるかどうか次第だろう。
格上相手にも存在感を示せるか
しかし、悪いところばかりだったわけではない。とりわけ後半は、相手選手の退場が奏功したとはいえ見事に復調していた。冨安めがけてドリブルを仕掛けたブレシアMFダニエレ・デッセーナが、シミュレーションの反則を取られて2枚目の警告で退場。数的不利に直面したコリーニ監督は、トップをサイドまで開かせてプレスを掛ける戦術をあきらめた。
こうしてサイドで戦術上の“蓋”を取ってもらった冨安は、積極的に攻撃を仕掛けた。高い位置でプレスを仕掛けてボールを奪い、パラシオやオルソリーニらと連動して右サイドの攻撃を組み立てた。一方で、チャンスと見抜けばサイドも駆け上がる。80分、オーバーラップを仕掛けて前に出ると、右足でクロスを放つ。相手DFの不正確なクリアを誘い、逆サイドに流れたボールは味方が拾い直して中央に再度展開。リッカルド・オルソリーニがボレーで決めて逆転に成功した。
相手が10人になったのは、開幕節のエラス・ヴェローナ戦の時と同様だ。だがその時「中央に寄りすぎてオルソリーニを孤立させてしまった」と反省していた冨安は、同じ状況となったブレシア戦では積極果敢にアウトサイドを使ってきたのである。たしかな成長の結果、粘るブレシアを崩すことに貢献できたというわけだ。
次節のローマ戦を皮切りに、ボローニャにとってはしばらくタフなカードが続く。ブレシア戦でセリエAらしい戦術的な攻略を味わされた冨安が、より格上の相手にも一層の存在感を発揮できるかどうか。それは今後の成功を占う上での指標となりそうだ。
(文:神尾光臣【イタリア】)
【了】