ピッチサイドで浴びせられた容赦ない罵声
汚いヤジが飛んできた。8月17日、高揚した熱が渦巻くヴェーザー・シュタディオン――。
ブンデスリーガの開幕戦、対ヴェルダー・ブレーメン戦。アペルカンプ真大は、フォルトゥナ・デュッセルドルフの一員として、緑色に染まる敵地に乗り込んだ。
トップチームに怪我人が出たことも重なり、U-23に所属する日独ハーフは、ベンチ入りを果たす。フォルトゥナが3-1で勝利したこの試合で、最後までフリートヘルム・フンケル監督から声は掛からなかったが、日本人の血が流れる18歳のサッカー選手が、ブンデスリーガの舞台に肉薄したのだ。
記念すべきブンデス初出場とはならなかったが、アペルカンプは「本当にいい経験でした」と振り返る。
「もちろんトップに呼ばれたことは嬉しかったですね。一回目だったので、本当に興味がありました。試合の時はどういう感じなのかなあ、とか。アップする時は、もちろんアウェイだったので、ファンから結構悪いことを言われて。そういったことを経験したので、それは本当にいい経験でしたね」
初めて経験するブンデスリーガでは、汚いヤジですら新鮮に感じられたようだ。ブレーメンを愛するファンからすれば、アペルカンプは憎き敵の一員でしかない。年齢も肩書きも知ったことではない。ピッチサイドでアップをしていると、容赦無く罵声を浴びせ掛けられた。しかしそれは、フットボーラーとして認められていることの“証”でもある。
“口撃”に対してアペルカンプは、努めて冷静に反応したという。
「まあ、相手にしないですし、無視しますし、言ってろ、って感じですね。しかも、その試合は僕らが勝ったので、逆にあっちは静かにして終わりですね」
“大人の対応”を振り返ったアペルカンプは、朗らかに笑った。
笑顔は、18歳の若者らしかった。
生まれは東京。転機が訪れたのは15歳
アペルカンプ真大は日本の東京都で生まれた。父親がドイツ人、母親が日本人のハーフだ。父親は仕事の関係で日本に滞在していた。サッカーボールを蹴り始めたのは、3歳の時だったいう。
「昔、日本に住んでいた頃、お父さんとお兄ちゃんといつも公園でサッカーをしていていました。家の中でも、即席のゴールを作って、ずっと部屋で蹴っていましたね。それが3歳の時で、サッカーを始めたきっかけです」
小学生の頃は東京都目黒区のヴィトーリア目黒FCに所属。ボランチやトップ下でプレーした。中学からは三菱養和の巣鴨のジュニアユースに加入。養和でのポジションは、中学1年の時は右SBに移ったが、2年から中盤に復帰したという。それからはずっと、ボランチやトップ下でプレーを続けてきた。
転機が訪れたのは15歳の時。中学3年生になったばかりの6月、父親の仕事の都合でドイツに移り住むことになった。その時、アペルカンプは、思わぬチャンスが来た――、そんな感覚を覚えたという。
「僕としては、将来はヨーロッパ、ドイツでサッカーをやりたかった。なので、これがいい時期というか、いいステップだな、と思いました」
デュッセルドルフに渡ってからは、既にフォルトゥナの下部組織でプレーしていた友人を通じて、U-16の練習にテスト参加。東京横浜ドイツ学園で一緒だった友人の父親は、横浜フリューゲルス、京都パープルサンガ、浦和レッズなどで監督を歴任したゲルト・エンゲルス氏。エンゲルス氏がフォルトゥナと繋がりがあり、練習参加が実現したという。そしてアペルカンプは、見事入団の許可を勝ち取ったのである。
渡独後、環境には時間の流れとともに自然と慣れていったという。そもそも日独ハーフで、毎年夏にはフランクフルトに住む祖母を訪ねていたこともあり、現地の様子はだいたい知っていたそうだ。
フィジカルで劣っていたからこそ磨かられたポジショニング
「ドイツ語を話せたので、コミュニケーションは問題なかったです。もちろん15年間住んでいたのは日本だったので、最初の頃は、学校や友達、チームは新しい環境で難しかったです。けど、だんだんだんだん慣れてきて、今はもう普通にドイツに住めていますね」
このように「コミュニケーション」に関しては問題なかったが、サッカー面では適応に苦労したという。
「苦労したことは、最初フォルトゥナに加入した時は、今とは比べられないぐらい体が小さかったんです。技術的には最初から問題はなかったんですけど、フィジカル面で最初はすごく苦労しました。そこは日本とドイツの一番の違いだなって思いましたね。技術的には日本のサッカーの方が全然上なんですけど、ドイツでは当たりの強さ、1対1の強度が強い感じです」
それからアペルカンプは、体が成長するにつれ、何よりトレーニングを重ねることで、フィジカル面の弱さを克服していった。そして周囲と比べてフィジカル面で劣っていたからこそ、工夫したこともある。
「自分はいつも考えてプレーします。その頃は、一対一の競り合いは普通に勝てなかったので、どこにボールが行くのか早く予測するようにしていました。先を読んで、他の選手より早くポジションを取って、一対一の場面になる前にボールを貰う、といった感じです」
そうやって工夫して磨いた“ポジショニング”が、今の自分の強みにもなっているという。
「ボールの行き先を予測しながらポジションを取って、ずっと考えてプレーしてきたので、それが自分の強みだと思っています」
こうして“弱さ”を自覚することで「強み」を磨きながら、アペルカンプはU-17、U-19と順調にステップアップ。その間、アンダー世代の日本代表にも選出されている。17年にはアメリカに遠征するU-17日本代表に、18年には第24回リスボン国際トーナメントに参加するU-18日本代表に招集された。
(取材・文:本田千尋【デュッセルドルフ】)
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