スウェーデンブーム真っ只中でやってきたW杯
ロンドンに住み始めた頃、よく行っていたレストランにかっこいいスウェーデン人の店員さんがいた、という単純な理由で、一時期、自分の中に壮大なスウェーデンブームが到来した。スウェーデン語は習うは、スウェーデン食材屋さんに通うは、現地まで夏期講習に行くは…。枯れ気味の昨今から振り返ると、若い頃のエネルギーというのはすごいものである。
そんなマイ・スウェーデンブームの真っただ中だった。1994年のワールドカップが開催されたのは。
スウェーデン代表は、1990年大会に続き出場を決めていたのだが、このときのメンバーというのがまた、キャラクター揃いだった。派手なパフォーマンスで盛り上げるGKトマス・ラベッリ、この大会後アーセナルに移籍した屈強なMFシュテファン・シュヴァルツ、褐色のカモシカ、FWマーティン・ダーリン、長身の点取り屋ケネット・アンデション、当時駆け出しだった金髪ドレッドのヘンリック・ラーション、そして天才肌のMFトマス・ブロリン等々…。いまメンバー表を見ても、「あーーそうそう、彼ね~」となつかしい名前ばかりだ。
グループリーグでは、ブラジル、ロシア、カメルーンと対戦し、スウェーデンは無敗で勝ち抜けた。3戦目のブラジル戦でも先制はしたのだが、刺客ロマーリオに返された。しかしのちに優勝するカナリア軍団に逆転までは許さず、1-1で引き分けた。
そしてラウンド16でサウジアラビアを下したあと、準々決勝で対戦したのが、ルーマニアだ。当時のルーマニアは、「バルカンのマラドーナ」と呼ばれた攻撃的MFゲオルゲ・ハジを中心に、その後バルセロナでもプレーしたゲオルゲ・ポペスクや、セリエAで鳴らしたFWフローリン・ラドショウ、チェルシーで活躍したDFダン・ペトレスクら、そうそうたるメンバーが揃っていた。
運命のPK戦
試合は拮抗し、前半戦を0−0で終えたあと、78分に先制点をあげたのはスウェーデン。ダミーを使って相手を撹乱させるFKからのセットプレーがピタリと決まり、ブロリンが際どい角度から見事ゴールを射抜いた。フィギュアスケートのジャンプのように、くるっと跳びながら回るのが彼のお決まりのゴール・セレブレーションだった。
しかしルーマニアも同じくFKから1点を返し、残り2分で1−1の同点に。
試合は延長戦に突入。最初に得点したのはルーマニアだった。起点となったのはハジ。決めたのは1点目と同じラドショウだ。残り時間はあと20分、テレビの画面を見ながら、生きた心地がしなかった。
しかしピッチ上の選手たちは、時間が経過するにつれて、逆に落ち着いていくように見えた。それが好サインだったといわんばかりに、115分、頼れるキャプテン、右サイドバックのローランド・ニルソンの逆サイドへのロングパスが長身のアンデションのヘッドをぴったりとらえた。歓喜の同点弾!
そして試合はPK戦へ。先行スウェーデンはMFミルドが出だしからふかしてしまう。しかしGKラベッリが、ルーマニアの4人目、ペトレスクのシュートをブロック。ここでイーブンになると、スウェーデンはニルソンと当時22歳のラーションがきっちり決めきる。
マッチポイントの一打に歩み出たのはルーマニアのDFミオドラグ・ベロディジチ。緊張感MAXの中で放たれた彼のシュートを、なんとラベッリはふたたびブロック! その瞬間、スウェーデンの準決勝進出が決定。拳を振り上げて雄叫びをあげながら踊るラベッリに選手たちが折り重なる。テレビでこの光景を見ていた時の、満たされた気持ちは忘れられない。
今でも胸が熱くなる
準決勝ではグループリーグ同様、ロマーリオに1点を奪われ、ブラジルに1-0で惜敗した。しかしその後のブルガリアとの3位決定戦では、フリスト・ストイチコフ擁するタフなブルガリアに4-0で快勝、スウェーデンは銅メダルを手にした。
当時のスウェーデン代表は地元でも大人気で、彼らが歌うテーマソングやプロモーションビデオなども作られた。ブロリンはその後プレミアリーグのリーズに入団したが、ストックホルムまで見に行った代表の試合で足首に致命的な怪我を負ってしまい、その後は二度と、以前と同じプレーはできなくなってしまった。引退後は掃除機カンパニーを経営していると聞いた。
キャラの立っていたGKラベッリは、スポーツジムや、スポーツウェア販売などを手がけているらしい。
アーセナルに入団したシュヴァルツの勇姿は、その後目にする機会に恵まれた。そしてラーションとは、セルティック時代と地元スウェーデンのヘルシンボリ時代にインタビューさせてもらう幸運に授かった。
94年大会で「なんだこの金髪ドレッド野郎は!?」と観衆をざわつかせたラーションは、ご存知のように、その後スキンヘッドも凛々しい偉大なストライカーとなり、バルセロナ時代にはチャンピオンズリーグでも優勝した。今シーズンは監督としてヘルシンボリを率いている。
スウェーデン熱はその後落ち着いたが、代表贔屓はいまだに続いている。ちなみにそのスウェーデン熱のきっかけとなった店員さんは、そののちアイドルグループの一員としてデビューした(いまや幻のグループだが…)。
さらに、彼は本当はスウェーデン人ではなく、アイルランド人だった、というオチつき。髪をプラチナブロンドに染めていたので、ウェイター仲間がからかって「こいつはスウェーデン人だよ」と言っていたのだ。
何かにのめりこむ動機なんて、結局はそんな単純なことだったりする。でもそのおかげで、94年のW杯、とりわけあの準々決勝戦で、あれほどの感動を味わうことができた。いまハイライトを見ても、胸が熱くなる。
それに、自分たちのプレーで、人をここまで感動させられるのだから、選手たちって、やっぱり本当にすごいのだ。
(文:小川由紀子)
【了】