日本サッカーの哲学を考えるきっかけとなった事件
愚問だろうなあ、と思いながらも訊いた。あなたのサッカー、あなたの言葉は常に哲学的でした、サッカーに哲学は必要だと思いますか? と。
案の定、オシムは「何を今更?」というように少し脱力したような表情をし、それでもはぐらかすことなく真摯に問いに向き合ってくれた。
「哲学は人間にとってむしろありふれたものだ。人によっては生きていく上で何もかもを哲学にゆだねる人さえいる。ましてやサッカーには哲学が無ければならない。哲学の無いサッカーなどあるのだろうか」
取材の意図を踏まえたあとは、一気呵成だった。チームが機能しないとき、監督はそれでも哲学や理想を貫くべきか、現実を見据えて変化させていくべきか、この二元論の問いにオシムはこう答えた。
「そんな単純なものではない。哲学は停滞しない。哲学がサッカーを作るが、頭でっかちになってもいけない。試合の中で起きた事件から哲学はまた導き出されるのだ。日本はW杯ロシア大会のベルギー戦で最後にカウンターでゴールを奪われた。そしてそれは日本サッカーの哲学を考えるきっかけになった。またきっかけにしなくてはならない。
なぜああいうことが起こったのかを分析するのが、哲学に帰結するのだ。まずはピッチ上で起きた事件から議論が出る。議論が百出して、沸騰する。それを集約することが哲学になるのだ」
(取材・文:木村元彦)
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