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内田篤人が「鹿島に収まる選手ではない」と安部裕葵を評した理由。バルサ加入を決意した裏にある本田圭佑の薫陶

約3年半ぶりに来日したFCバルセロナに、鹿島アントラーズから安部裕葵が完全移籍で加入したが、負傷の影響により日本でのプレーは叶わず。イバン・ラキティッチからは「内気なところがあるように見える」と評されたが、持ち前の性格は、鹿島時代の同僚・内田篤人が太鼓判を押している。(取材・文:藤江直人)

text by 藤江直人 photo by Getty Images

日本でのプレーは叶わず

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FCバルセロナに加入した安部裕葵【写真:Getty Images】

 用意されたのはユニフォームではなくパイプ椅子だった。スペインの名門、FCバルセロナが約3年半ぶりに来日したRakuten CUP。直前に鹿島アントラーズから完全移籍で加入し、26人のメンバーの一人として凱旋する形となったFW安部裕葵が日本のピッチに立つことはなかった。

 7月23日に埼玉スタジアム2002で行われたプレミアリーグの強豪チェルシー戦。そして、同27日にノエビアスタジアム神戸で行われたJ1のヴィッセル神戸戦。右臀部を痛めている安部は2試合ともベンチ入りを果たせず、ベンチ横に設置されたパイプ椅子に座って試合を観戦した。

 安部が予期せぬアクシデントに見舞われたのは、スペイン時間の17日午前に行われたバルセロナBの練習中だった。接触プレーで右臀部を打撲し、移籍後で初めてとなる記者会見をはさんで行われた午後の練習をキャンセルした。以来、別メニューでの調整を余儀なくされている。

 場所を神戸市内に移し、メディアには非公開で行われた25日の練習で部分的に合流した。しかし、状態が芳しくなかったのだろう。翌日にノエビアスタジアム神戸で行われた公式会見で、バルセロナを率いるエルネスト・バルベルデ監督は安部に対してこう言及している。

「昨日に少し練習をしたが、まだ痛みを感じている状態だった。(ヴィッセル神戸との)試合に出るのは難しいと思う」

言葉を覚えるのに必死

 今回のRakuten CUPはベンチ入りが28人、選手の交代枠は上限なしだった。バルセロナは26人で来日しているので、けがさえなければおそらく母国日本で、新天地の一員としてデビューを飾っていただろう。もっとも、安部は臀部の痛み以外とも必死に戦っていた。

 チェルシー戦を翌日に控えた22日にFC町田ゼルビアのホーム、市立町田陸上競技場で行われた公式練習。選手を代表して記者会見に出席した、クロアチア代表MFイバン・ラキティッチは、ツアーに同行している安部について抱く印象をこう語っている。

「彼はバルセロナに移籍してきたばかりで、まだトップチームで一緒に練習をしたことがない。それでも、バルセロナに移籍してくるということは大変いい選手だと、加わるだけの能力があると思っている。ただ、ちょっと内気なところがあるように見える。言葉の問題もあると思うけれども、ファミリーとして彼を心から歓迎しているし、一緒に質の高いプレーをして楽しみたいと考えています」

 海外志向が強かった安部は、憧憬の思いを抱くプレミアリーグでプレーする自分自身の姿を思い描きながら、アントラーズ時代から英語の勉強をスタートさせていた。しかし、バルセロナのなかで飛び交っているスペイン語は勝手が違う、未知の言語に感じられているのだろう。

「いまは言葉を覚えるのに必死です」

 安部が登録されるバルセロナBの公式ツイッターには、正式契約を結んだ直後に収録された公式インタビューが公開されている。そのなかでスペイン語と苦闘していると打ち明けた安部は、日本滞在中に応じた民放テレビ局のインタビューでも短期的な目標をこう掲げている。

「まずは年内に言葉を覚えることですね」

 スペイン語をなかなか口にしない立ち居振る舞いぶりが、バルセロナの一員になって6年目になるラキティッチの目に「ちょっと内気なところがある」と映っているのかもしれない。もっとも、苦闘はしていても、戸惑ってはいない。言葉の壁は、安部にとっても想定内だった。

ビッグクラブに挑戦する覚悟と決意

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内田篤人は安部裕葵を「このチームで収まる選手ではない」と評した【写真:Getty Images】

 クラブ間における交渉が合意に達した7月12日。アントラーズの公式ツイッターに掲載されたインタビュー動画で、安部はビッグクラブで新たな挑戦を開始する覚悟と決意をこう語っている。

「これから直面するさまざまな困難な壁も、自分の成長には絶対に必要なことだと信じています。鹿島アントラーズというクラブで経験したすべてを糧に、これからも一日一日、一瞬一瞬を大切にして、フットボールと向き合っていきたい」

 これまでも明確な意思をもって、サッカー人生を歩んできた。東京都出身の安部が両親の反対を押し切って広島県へ、しかも全国高校サッカー選手権に出場したことがなかった瀬戸内高へ越境入学した理由は、3年生になる2016年に広島県がインターハイ開催地に決まっていたからに他ならない。

 開催地になればサッカーの出場枠も1増の2校になる。全国の舞台に立てれば、Jクラブのスカウトの目に留まりやすくなる。2010年から4年連続でインターハイに出場し、選手寮も完備していた瀬戸内高は最適の環境であり、青写真通りに安部は地元開催のインターハイのピッチに立った。

 しかも3ゴールをマークしてチームをベスト8に導き、大会優秀選手にも選出された。そして、身長171cm体重65kgの体に搭載された、トリッキーなドリブルを含めた攻撃的なセンスが、他の選手を視察するためにたまたま会場を訪れていたアントラーズのスカウトの目に留まった。

内田篤人が太鼓判を押した理由

 常勝軍団の一員になっても、安部は稀有な存在感を放ち続けた。ピッチのなかにおける象徴的な事例が2年目の昨季に獲得したJリーグベストヤングプレーヤー賞ならば、ピッチの外では2018年1月に約7年半ぶりに復帰した元日本代表DF内田篤人への接し方となる。

「海外から帰ってきた選手から、吸収しなければいけないものはたくさんあるので。だからこそ、積極的にコミュニケーションを取りたかった」

 他の若手選手たちがそろって遠慮がちになり、内田と距離を取っていたなかで、臆することなく話しかけてきた安部の姿勢が頼もしく映ったのだろう。ドイツで培った濃密な経験をあますことなく伝えてきた内田は、笑顔を浮かべながら安部の将来に太鼓判を押したことがある。

「自分から吸収しようという意欲を感じるよね。もちろん技術も高いし、能力もある。性格的にもこのチームで収まる選手ではない、と個人的には思っている」

 アントラーズの一員として迎えた3年目の夏。かつて神様ジーコや貴公子レオナルド、森保ジャパンで司令塔を担う柴崎岳(現デポルティボ・ラコルーニャ)らが背負った栄光の「10番」を託されてからわずか半年あまりで、図らずも内田が予想していた旅立ちの時が訪れる。

「たった2年半でしたけど、僕が高校生のときを考えたら、いまの状況なんて考えられない。(中略)何があるかわからないので(どれくらい)時間(がかかるか)はわからないけど、いまの自分が想像できないような立ち位置にいるために、日々努力して成長しようと思っています」

 前出のアントラーズの公式インタビューで未来をみすえた安部のもとへ、バルセロナからオファーが届いたのは森保ジャパンの一員としてコパ・アメリカ2019に挑む直前だった。望外の展開に最初は驚きながらも、すぐに移籍への決意を固めたことを同じインタビューのなかで明かしている。

「皆さまのサポートや声援、チームメイトやスタッフがいて、このタイミングで海外移籍という、チャレンジするチャンスを与えられたと思っています。(中略)一生のなかでこういうタイミングというものは何回来るかわかりません。(中略)チャレンジする、ということ以外の選択肢はありませんでした」

影響を受けた本田圭佑の人生哲学

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安部裕葵は本田圭佑の考え方に影響を受けてきた【写真:Getty Images】

 元日本代表MF本田圭佑の代理人を務める、実兄の本田弘幸氏が代表取締役を務めるマネジメント会社、株式会社HEROEのクライアントに、安部が名前を連ねたのは今年3月ごろだった。もっとも、本田兄弟との直接的あるいは間接的な出会いは、安部の中学生時代にまでさかのぼる。

 中学時代の安部は、東京都清瀬市を活動拠点とする帝京FCジュニアユースでプレーしている。そして、3年生へ進級する直前にチームは本田のマネジメント事務所HONDA ESTILOの傘下となり、クラブの名称もS.T. FOOTBALL CLUBへと変わっている。

 HEROEのグループカンパニーにHONDA ESTILOが名前を連ねていることからも、安部と本田、そして弘幸氏のつながりが伝わってくる。もっとも、安部自身はチーム名称が変わる以前から、本田が歩んできた独自のサッカー人生や貫いてきた人生哲学の薫陶を色濃く受けてきた。

 帝京FCジュニアユースの指導者が本田と懇意にしていたこともあり、本田イズムを幾度となく聞かされてきた。そのなかで最も印象に残っているのが、本田がよく口にするビッグマウスの理由だ。ぶれない生き様に倣いたい、という思いを込めて、安部はこんな言葉を残したことがある。

「とにかく夢をもって、それを周囲に言って、逃げ道をなくす。素晴らしいことだと思いましたし、同時に強い人間じゃなければできないことだと思いました」

 本田自身が練習場に足を運び、安部を含めたS.T. FOOTBALL CLUBの子どもたちへ「夢をもて」と檄を飛ばしたこともあった。連覇を達成した2018/19シーズンを含めてラ・リーガ1部を26度、UEFAチャンピオンリーグを5度制している名門へ挑むことは、大きな夢をかなえるための第一歩となる。

指揮官はチャンスがあると話す

 もちろん、生半可な覚悟では通用しないことは、誰よりも安部本人が理解している。リオネル・メッシやルイス・スアレス、フィリッペ・コウチーニョらコパ・アメリカ組が不参加だった今回のRakuten CUPには、安部を含めてバルセロナBから9人の若手選手が帯同している。

 そのなかでも19歳のMFリキ・プッチや、21歳のFWカルレス・ペレスの両アタッカーが積極的な仕掛けを何度も見せた。特に後者は後半から出場したヴィッセル戦で2ゴールをあげて勝利に貢献したが、トップチーム定着に必要な要素を問われたバルベルデ監督は、あくまでも冷静にこう答えた。

「彼らは非常によくチームにフィットした。しかし、本当にシーズンが始まったときに、彼らのようなカンテラ出身の選手が上がってくる可能性もあるし、彼ら以外の選手にもチャンスがあるだろう」

 バルセロナの公式サイトによれば、安部との契約期間は4年間。バルセロナから他のチームへ移籍する際の契約解除金として、2年間のバルセロナB在籍中は4000万ユーロ(約48億4500万円)が、トップチームに昇格している場合は最大1億ユーロ(約121億円)が設定されている。

「(自分は)とても器用なので、サッカーや生活面にもすぐに順応できると思います。僕のサッカー人生は基本、攻撃をずっとやってきたので、ゴールという目に見える形で貢献したい。(中略)個人としても日本人の代表としても、成長するために自分自身へ責任をもってやりたい」

 前出のクラブの公式インタビューで、安部はポジティブな視線を未来へ向けている。挑まなければ何も始まらない。まずは臀部のけがをしっかりと治し、8月25日に開幕予定の3部にあたるラ・リーガ2部Bの戦いへ向けて、金の卵たちが集うバルセロナBでの戦いへ向けたスタートラインに立つ。

(取材・文:藤江直人)

【了】

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