トゥーロン、コパ・アメリカはともに落選
来夏の東京五輪に臨む男子代表チームには、森保一監督のもとで立ち上げられた2017年12月から「常連」として名前を連ねてきた。昨年1月のAFC・U-23アジア選手権、同3月の南米パラグアイ遠征、同5月のトゥーロン国際大会、そして準優勝した同8月のアジア競技大会を戦ってきた。
今年に入っても3月のAFC・U-23アジア選手権予選に招集された。しかし、5月のトゥーロン国際大会は選外となった。フル代表を含めた国際大会が重複した関係で、東京五輪世代のなかでも各ポジションで2番手以降の選手が名前を連ねた、という事情もはたらいていた。
しかし、東京五輪世代が18人を数えるチーム編成となった、コパ・アメリカ2019に臨んだフル代表にも遠藤の名前はなかった。各チームから一人ずつ、という原則が貫かれたと思われるなかで、マリノスからは同じ1997年生まれのMF三好康児が選出されていたことも関係したかもしれない。
遠藤自身も「いろいろな経緯があると思うけど…」と、努めて自分自身を納得させてきた。しかし、トゥーロン国際大会で史上初の決勝進出を果たし、コパ・アメリカでは決勝トーナメント進出への扉を開けかけた同世代の盟友たちを応援する、自分自身の存在には違和感を禁じえなかった。
「トゥーロンとコパ・アメリカで頑張っているみんなを見るのが悔しかったというか、自分が両方(の代表)に入っていないというのもなかなか難しかった。自分はマリノスで頑張るしかないと思ってプレーしても上手くいかず、ゴールも決められずに厳しい時間もあった」
抱き続けてきた、偽らざる本音を遠藤は打ち明けた。それでも、マリノスで先発として出場し続けているということは、歩んでいる道が正しいからだと言い聞かせた。いま現在はあくまでも通過点。最初に訪れる勝負のときが、来夏の東京五輪に臨む18人の代表メンバー入りとなる。
「だからオリンピックへ向けて、トゥーロンやコパ・アメリカがすべてじゃない。自分のチームで何ができるのかが、最終的にはオリンピックにつながる。見てくれている人は、見てくれていると思うので」