久保建英が見せた予想を覆す行動
事前に文章の類をいっさい用意せず、脳裏に浮かんださまざまな思いを言葉に変換させていく。当意即妙にして臨機応変、という四字熟語がぴったりと当てはまる久保建英の旅立ちの言葉は、雨が降りしきる味の素スタジアムのピッチの中央で約4分間にわたって紡がれた。
「みなさん、こんばんは。久保建英です」
白い半袖のワイシャツに黒のスラックス姿の久保は、前所属クラブとなったFC東京の選手たちが作る花道を通って登場。オーロラビジョンに映し出された、FC東京U-15むさしに加入した2015年5月以降の歩みを振り返る映像を見届けた後に自己紹介すると、いきなり予想を覆す行動に打って出た。
それまではFC東京側のゴール裏へ向けていた体を「えーと、まずは……」という言葉とともに反転。スタンドマイクを移動させながら横浜F・マリノス側のゴール裏を向いて、昨年8月から約半年間にわたって期限付き移籍した、元所属クラブのファン・サポーターの笑いを誘った。
「横浜F・マリノスのファン・サポーターのみなさま、さっき自分のJ1初ゴールが流されなくて、ブーイングが出ていたと思いますけど、後で自分が(FC東京のスタッフに)言っておきます」
流された映像のなかに、昨年8月26日のヴィッセル神戸戦で決めたJ1初ゴールを含めた、マリノス時代のそれが含まれていなかった。その瞬間に沸きあがったブーイングを聞き逃さなかった久保は、とっさの判断でユーモラスな言葉を選択。次の瞬間、聞き手の涙腺を緩ませる言葉を続けている。
「半年間という短い間ではありましたが、自分がいまこうやってここに立てているのは、正直に言いますけど、マリノスに半年間レンタルできたことが非常に大きいと思っています。感謝しかありません。ありがとうございます」
さまざまなタイミングが交錯した結果として、プロとして所属した2つのクラブが対峙したリーグ戦の直後に実現したレアル・マドリー移籍の壮行セレモニー。今季の急成長を導き、世界一のビッグクラブに見初められた理由が、冒頭で飛び出した言葉に凝縮されていた。
「コンセプトを実践できなければ試合には出られない」
「サッカーはチームスポーツなので、自分が、自分が、というわけにはいかない。選手一人ひとりに特徴があるとは思いますけど、チームの勝利が最優先されるなかで、土台となるチームのコンセプトを実践できなければ試合に出られないのは当たり前のこと。その上で攻撃では自分の特徴をしっかりと出して、チームのいいアクセントになればいい、ということをこの1年間で、十代の早い段階で学べたことは一番大きな収穫だと思っています」
FC東京に復帰して迎えた2月23日の今季開幕戦。球際における激しい守備や労を惜しまないハードワークにバルセロナ仕込みのテクニックを融合させた、昨季までとは明らかに一線を画す存在感を発揮。王者・川崎フロンターレを畏怖させた試合後に、久保はこんな言葉を残している。
たとえば39分。日本代表経験のあるDF車屋紳太郎と壮絶なデュエルを展開。最後は体をねじ込むようにしてボールを奪い、そのまま反転してドリブルを開始。カウンターを発動させた一連のプレー、特に守備の部分を問われた直後には、ちょっと困惑しながらこう語っている。
「何て言うんですかね……。他の選手たちもああやって体を張って守っていますし、変な目で自分を見ることなく、普通にボールを取った、というくらいに思っていただければ幸いです」
「なぜ試合に出れないのか」
慰留を振り切る形でFC東京を飛び出し、マリノスへ新天地を求めた理由はストレスにあった。J1リーグにおいてすべて途中出場で4試合、プレー時間わずか58分間に留まっていた理由は、長谷川健太監督が一丁目一番地として求めるハードワークを具現化できなかったからに他ならない。
しかし、久保はベクトルを外側へ向け続けた。「なぜ試合で使ってくれないのか」――という不満にも近い思いは、時間の経過とともにマリノスでも出場機会が激減し、9月以降は途中出場で3度、時間にして40分間ピッチに立っただけで昨季を終えた過程で、自身の内側へと向けられ始める。
要は「なぜ試合に出られないのか」――という自らを客観視できる特異な能力。バルセロナに加入する前から師事してきたプロトレーナー、木場克己氏のもとで積み重ねてきた体幹トレーニング。そして栄養士の助言を受けながら日々の食事を作ってくれた母親の愛情が融合し、今季になって花開いた。
そのなかでもベクトルの向きが違うと気づかせてくれた、マリノスでの日々があって今季のFC東京における大ブレークが、そしてレアル・マドリーへの移籍があると思っているのだろう。セレモニーで再びFC東京側を向き、マイクの場所も元に戻した久保はFC東京での日々へ万感の思いを募らせる。
「やっぱり映像とか見て、思うことはたくさんあります。こうやって雨のなか、たくさんの人たちが自分のセレモニーを見に来てくれている……かどうかはわかんないですけど、足を運んでくれているというのは非常に感謝しています。いいことばかりではなかったですけど、自分の力もあり、みんなの力を借りて、こうして一人前のサッカー選手として東京を背負って、世界に羽ばたいていけることを非常に誇らしく思います」
「いまはあまり注目して欲しくないかな」
久保が初めてプロのピッチに立った、2016年11月5日を思い出す。トップチームに2種登録され、FC東京U-18に所属しながらAC長野パルセイロとのJ3リーグを戦った駒沢オリンピック公園陸上競技場には、平均の3倍となる7653人の観客が久保見たさに詰めかけていた。
「プロサッカー選手になったときに注目されなくなったら、それはよくないな、と思います。ただ、いまはあまり注目してほしくないかな、という思いはあります」
当時はまだ15歳の中学3年生。100人を超えるメディアから注がれた視線を含めて、一挙手一投足にスポットライトが集まる状況への戸惑いを口にしていた久保は、3年もたたないうちに世界的な規模で名前を知らしめる存在になった。
しかし、心の奥底に流れる思いは、当時もいまも変わらない。
「自分が成長し続けるために大切なのは、やっぱり気持ちですね。具体的には貪欲さというか、上にはさらに上がいるということ。まだまだ自分は下にいるので、どんどん追い越せていけるように、という気持ちを抱きながら毎日をすごしています」
久保にとって「上」に映る舞台が、目まぐるしい速さで変わってきた。J3からYBCルヴァンカップ、J1へ。日の丸を背負っても今年に入り、年代別の代表を飛び越えてフル代表へ。そして、日本中のファン・サポーターの期待を、いい意味で覆す形でレアル・マドリーへと旅立つ。
「18歳は若くない」
「雨のなか、長々とすみません。これからはFC東京の久保建英ではなくなりますが、FC東京に在籍した選手として、東京としての誇りをもって、つらいこともあるかと思いますが、そのたびにいまの(セレモニーの)動画をもらえると思うので、見返して元気を出します」
挨拶の締めへ向かい、久保はこんな言葉でスタンドの拍手と大歓声を誘った。言葉と言葉の合間からはFC東京U-15むさしに加入したときから口頭で、プロ契約を結んだ2017年11月1日からは契約書上で、2019年6月4日をもって契約を満了することを頑なに譲らなかった理由が伝わってくる。
「ずっとサッカーをやってきた姿勢が、プロになったから、ある程度成功したからといって変わってしまえば、いままでの成長スピードも落ちてしまうんじゃないか。そう考えただけで怖くなりますけど、だからこそ楽しくサッカーができているうちはどんどん上へあがっていけると思っています。そういう状態ができるだけ長く、いつまでも続いてほしいけど、身体的にもそういうことがあるかもしれない。なので、いまはサッカーができる喜びをかみしめながら、一日一日を、目の前の試合を大切にしたい」
プロになった直後に久保が言及した「身体的にもそういうこと」とは、不慮のアクシデントで大けがを負う事態を指していた。明日何が起こるかは誰にもわからない。だからこそ志半ばでスペインから帰国してからも、夢の続編を追い求めていく目線の高さだけは絶対に変えなかった。
そして、キリンチャレンジカップを戦う森保ジャパンに大抜擢され、トリニダード・トバゴ代表戦を翌日に控えた豊田スタジアムで、久保は国際移籍が可能になる18歳になった。同時に所属クラブのない状態になることは覚悟の上。前だけを見すえるように、胸を張った姿が印象に残っている。
「ひとつ年を取った、という言い方は変ですけど、これからはジュニアと書かれることはなくなりますし、世界でも18歳はもう若くはない、みたいな感じになってきている。18歳でも試合に出る選手は出ますし、だからと言って22、23歳になったときに約束されていることは何もないので」
「始まる前に目標を設定するのは好きじゃない」
刹那をフルスピードで、悔いを残すことなく駆け抜けていく覚悟を新たにした10日後の6月14日。引き続き森保ジャパンの一員として、コパ・アメリカに臨むために乗り込んだブラジルの地へ、レアル・マドリーへの完全移籍が決まったというビッグニュースが飛び込んできた。
プレーに集中したいという理由で、日本代表に招集されている間の久保は移籍に関してノーコメントを貫いてきた。壮行セレモニーの挨拶で紡がれた言葉の数々は、初めて表明された所信でもあった。
「東京に来てから3年半、4年くらいでしたが、非常に(ヨーロッパへ)行きたくなくなるくらい濃い時間だったと思いますし、苦渋の決断ではありましたが、自分の決断に誇りをもって、また東京での時間を自分は一生忘れないので。本当にありがとうございました」
数字を伴った具体的な目標は口にしなかった。これは久保が抱き続けてきたポリシーでもある。
「始まる前に目標とかを設定することが、自分はあまり好きじゃないので。シーズンが始まってから具体的な目標とかが増えてくれば、またそのときに言います」
それでも、おぼろげに思い描いてきた理想像がある。プロになって間もないころ。たとえるならば流れる雲をつかみ取るかのような、壮大なチャレンジを自らに課しながら、どれだけ前方を見わたしても日本人選手が誰もいない道を歩み続けていきたいと久保は明かしている。
「何かもやもやした表現で申し訳ありませんけど、サッカー選手として大きな存在でありたい。久保選手を見てサッカーを始めましたと言ってもらえるような選手に、より大きな影響を周囲に与えられるような選手に、ひと言で表現すれば『すごい選手』になることが僕の目標です」
夢へのスタートラインに立ったからこそ、最後まで涙はなかった。FC東京とマリノスにおける濃密な日々へ、これからも抱き続ける感謝の思いが散りばめられた旅立ちの言葉を置き土産にして、日本中が期待する俊英は今月8日に始動するレアル・マドリーに合わせて、近日中に日本を飛び立つ。
(取材・文:藤江直人)
【了】