録画であることを忘れさせる真っ向勝負
やはり記憶とは当てにならないものだ。ロナウドにちぎられたのはエドガー・ダーヴィッツ…と思い込んでいた。ところが当時の映像を見直してみると、後半が始まってすぐ、リバウドのパスに合わせて抜け出す“怪物”に振り切られたのは、フィリップ・コクーだったのだ。しかし、“これぞフットボール”とでも呼ぶべき試合をさらに見直してみると、私の記憶=思い込みも、あながち間違いではなかったのだが。
1998年7月7日、再びマルセイユ――。フランスワールドカップの準決勝。オランダ代表は、“王国”ブラジル代表と相見えることになった。
なお、私はこの試合を“生”で観ていない。朝起きて、居間に来ると、テレビが点いていた。ブラウン菅の画面を観ると、ダーヴィッツが大きく写っている。オランダ代表の選手たちが、肩を組んでいる。試合はPK戦に突入していたのだ。
なぜ当時の私は、この準決勝をリアルタイムで観なかったのか。この試合は現地時間で21時のキックオフ。日本では真夜中だ。準々決勝オランダ対アルゼンチンを振り返るコラムで記したが、その頃、私はサッカーのサの字もない地方都市の高校生だった。調べてみると、98年の7月7日は火曜日。平日は、学校に行かねばならない。前日に早めに寝ておいて、キックオフ時間に合わせて起きよう。そんなサッカー・フリークな発想は、まだなかった。よって試合は録画しておいて、帰ってきてから観よう…そう考えたのだろう。
“生”で観なかったことを後悔した…記憶はない。録画で見直しても、録画であることをすぐに忘れさせてくれた。オランダは、ブラジルに対して全く怯まない。真っ向からぶつかった。もちろんマリオ・ザガロ率いる“セレソン”も優勝候補と呼ぶに相応しく、決してナメてかかれる相手ではない。
劣勢を覚悟したブラジルの老将
ブラジルの先発メンバーを列挙してみよう。GKはタファレル。DF陣はロベルト・カルロス、アウダイール、ジュニオール・バイアーノ、ゼ・カルロス。ボランチにセザール・サンパイオとドゥンガ、攻撃的MFはリバウドとレオナルド。そして前線にベベットとロナウドである。
当時は知らなかったが、調べてみると、カフーは出場停止で欠いたようだ。しかし、世界最高の右サイドバックがいなかったとは言え、チームとしての破壊力は、素人目にも背筋が凍るものがある。ベンチには超絶ドリブラーのデニウソンも控えていた。現代であれば、対峙するほとんどのチームが5バックで引いてゴール前を固めるだろう。
ところが、これだけのメンバーを揃えていながら、オランダ戦を前に、ザガロ監督はボールを持たれることを予想したという。今になって知ったのだが、世界に冠たる“セレソン”の指揮官は、オレンジ軍団を相手に劣勢を覚悟したのだそうだ。
監督として臨んだ2度目のワールドカップで、ヨハン・クライフ率いるオランダ代表の“ボール狩り”に遭い、完膚なきまでに叩きのめされた74年西ドイツ大会の恐怖が蘇ったのだろうか。優勝が義務付けられた“王国”の代表チームを率いる重圧は、想像の域を超えている。
いずれにせよ、選手時代には58年スウェーデン大会、62年チリ大会と連覇の偉業を成し遂げ、監督としても70年メキシコ大会を制覇、94年アメリカ大会ではアシスタントコーチとして優勝を経験したマリオ・ザガロが慄いた相手が、98年フランス大会のオランダ代表だったのである。
脳裏に刻まれたオランダの“技術”
試合は、路地裏で磨かれたテクニックの極致と、トレーニングで磨かれた技術の極致の応酬とでも呼ぶべき、あまりに濃密なものとなった。動物的な感性と独創性で局面を打開しようとするブラジルと、サッカーの戦いに特化したアンドロイドの集団のようなオランダ。サッカーのサの字もない地方都市の高校生だった私は、我を忘れて試合に没頭した。鼓動は高鳴り続けた。
振り返ると、オランダの守備陣は、よくロナウドを1点に抑えたと思う。今で言うところの“個の力”という点で、肉食獣のような風貌のアタッカーは図抜けていた。当時の私は、そんなロナウドを食い止めるオランダの選手たちの“技術”に感銘を受けた。
例えば、延長後半2分、爆発的なドリブルでゴール前に突き進むロナウドに対して、フランク・デ・ブールは後ろからタックルを見舞い、辛うじて左足でボールをピッチの外に掻き出す。決して“怪物”に足をかけずに、ギリギリのところで正確にボールをクリアする“技術”は、強烈な印象を残した。だから、私は、ブラジルに先制を許した場面で、ロナウドにちぎられたのはダーヴィッツ…と勘違いしていたのだ。
似たような場面は、後半28分にもあった。リバウドの鋭いスルーパスに、ロナウドが抜け出す。後ろから追い縋るダーヴィッツ。ペナルティスポットの近辺で、“怪物”がシュートを打とうとしたその瞬間、倒れ込みながら右足の甲でボールを掻き出す。フランク・デ・ブールのそれと同様に、ダーヴィッツの“技術”もまた、私の脳裏に強く刻まれた。
そして、そういった精巧な“技術”の数々だけでなく、化け物じみたロナウドの数々の突破も、知らず知らずの内に私の意識の奥底に残ったのだろう。それから20年以上の月日が経過して、記憶がごちゃ混ぜになった。ロナウドにちぎられたのはエドガー・ダーヴィッツ…と。
むせび泣いたブラジル指揮官
コクーが振り切られて先制を許したオランダだったが、FWピエール・ファン・ホーイドンクを投入し、さらに“セレソン”を攻め立てる。ロナウドに喉元を抉られそうになりながらも、果敢に前に向かった。すると後半の終了間際、パトリック・クライファートが同点弾を叩き込む。起死回生のヘディング。土壇場で試合は振り出しに戻り、延長戦に突入する。
鬼気迫る攻防が続く。120分を終えても決着がつかず、勝負の行方はPK戦に委ねられた。
ブラジルはロナウドに始まり、3人目まで順調に決めて行ったが、オランダは3番手のコクーがタファレルに止められてしまう。そしてブラジルの4人目は主将のドゥンガ。豪快に決めた“闘将”は、雄叫びをあげながら、渾身のガッツポーズを繰り出した。対するオランダは、4人目のロナルト・デ・ブールもタファレルに止められ、ジ・エンド。その瞬間、オランダの敗退が決まった。
試合が終わったピッチの上で、ザガロ監督が泣いていたことは、死闘を物語る逸話となった。たしかに決勝進出は決まったが、まだ優勝は決まっていない。にもかかわらず、“セレソン”の指揮官は、むせび泣いた。メガネを外して、涙を拭った。ことワールドカップに関して経験豊富な老将をそこまで追い込むほどに、98年のフランスワールドカップの準決勝で散ったオランダ代表は、強かったのだ。
(文:本田千尋)
【了】