就任当初から説いていた「世代交代」の重要性
ブラジルの地で、日本代表の「世代間の融合」が本格的に始まった。チーム作りは次なる段階へと進んだように思える。
森保一監督は昨年7月26日、2020年東京五輪出場に向けたU-21代表(当時)監督でありながら、4年後のカタールワールドカップを見据えて再始動するA代表の監督に就任することが決まった。この時から、東京五輪でのメダル獲得と同じ時間軸の先に、2つ目の目標としてワールドカップが設定されたことになる。
そして彼は、日本代表監督就任会見の場で「言葉ありきではなく、この世界は競争がありますし、実力のある選手が生き残っていく。世代交代はやっていかなければいけないと思っていますが、私自身、年代(世代)間の融合をしっかり図りつつ、新しい日本代表を築き上げていきたい」と語った。
ロシアワールドカップで日本のベスト16進出に貢献した、例えば香川真司や吉田麻也、川島永嗣、本田圭佑といった選手たちも年齢を重ねれば必ずパフォーマンスが落ちる時がやってくる。彼らですら永遠に日本代表選手でいることはできないし、その次の時代を担う、より質の高い選手が出てこなければ継続してチームとして掲げる目標を達成していくことは難しくなる。
どうしてもワールドカップを基準に4年周期でチーム作りを進めていくことが求められる現代サッカー界において、世代交代とは避けて通れない道だ。森保監督は、東京五輪に出場する23歳以下の選手たちと、既存のA代表を率いて、ともに目の前の勝利を掴みとりつつ、ゆるやかに次世代へとバトンをつないでいく重責を担っているのである。
「ただベテランの選手を招集しない、若い選手に経験させるという意味で入れ替えるのではなく、やはり経験を積んだベテランの選手たちが持っているものを、次の世代の経験の浅い選手たちに伝えてもらうということを、A代表でもやっていく。
東京五輪代表の選手からA代表の方に招集できる選手も新たに出てくると思います。そうなるとまた下の年代から東京五輪代表に引き上げて融合させるということもできます。A代表と東京五輪代表、そしてさらに下の年代の代表も、ちょっとずつ融合できるのではないかと思っています」
日本代表監督就任会見で、森保監督は「世代交代」の見通しをこのように話していた。ただ、実際のチーム作りにおいて、東京五輪代表とA代表とでは別々のアプローチが取られていた。前者は結成当初から3-4-2-1をベースに戦い、後者はこれまで通りの4-3-2-1を踏襲していく。一見すると、その2つの代表は容易に交わらないのではないかと考えられてもおかしくはない。
世代間の「融合」をいかに進めるか
ところがここにきて、その2つの代表のチーム作りが互いにリンクし始めた。A代表は6月のキリンチャレンジカップで森保監督就任以来初めて3-4-2-1を採用し、東京五輪世代中心で臨んだ同月のコパ・アメリカ2019(南米選手権)では若手選手たちが本来のA代表と同じ4-3-2-1で奮闘した。
なぜこれまで2つの代表が別々のチーム作りをしてきたのか。その理由を、指揮官は次のように説明する。
「私が東京五輪世代の監督になった時に、まず自分がこれまでやってきたことをやって、ベースを作り、そこからまたオプションとして4バックを試合中に試してみたりしてきました。A代表に関しては、私が昨年のロシアワールドカップでコーチとして経験させてもらった中で、まずは西野(朗)監督がやられていたこと、そしてA代表の選手に合っているのかなと。最初は自分が経験させてもらったことにトライしようと思っていました。
加えて「変に急いで次のオプションを作っていくよりも、ベースを固めながらオプションを作ることを考えていければと思っていました」とも述べている。新たに結成した世代別代表は自分なりのやり方で、すでに基盤が固まっているA代表は緩やかに変化させる。2つのチームを率いる上で、チーム作りの方針は定まっていた。
今年6月のキリンチャレンジカップでトリニダード・トバゴ代表、エルサルバドル代表と戦い、A代表の3バックも形になり始めた。そして数人のA代表選手と東京五輪世代が融合したコパ・アメリカでも、4バックは十分に機能して、本気の南米のチームから勝ち点をもぎ取った。
そのうえ東京五輪世代の選手たちがコパ・アメリカでウルグアイ代表やチリ代表といった一線級揃いのチームとぶつかり合い、彼らの中にある「基準」がA代表のそれと同じかそれ以上に引き上げられたことも大きい。
コパ・アメリカ全3試合に左サイドバックとして出場した杉岡大暉は「やっぱりここを基準にしたいと思いますし、東京五輪代表に選ばれればいいのではなくて、A代表にいかに選ばれるかという勝負をJリーグでもしていきたいです。先輩たちが示してくれた基準だったり、相手の世界の基準を忘れないでやっていきたいと思います」と、エクアドル代表と引き分けてグループリーグ敗退が決まった後に語っていた。
選手それぞれに成果や課題を感じながらも、杉岡と同じようなことを言葉にして紡ぎ出す。自分のたちの甘かった部分を受け入れる一方で、「自信になるところもあった」「受けた刺激を吸収して、自分のものにできれば」と、コパ・アメリカでの貴重な経験を将来への糧にしようと彼らは前を向いている。
森保監督が実感した若手の急成長
森保監督もコパ・アメリカでの東京五輪世代の成長には手応えを感じている様子だ。
「私が思っていた以上に彼らは急成長するんだなと。1つの経験で、この短期間でもすごく変わっていくんだなということを感じさせてもらいました。もちろんまだまだ改善しなければいけないところはありますけど、若い選手、経験の浅い選手たちがこの短期間で見せてくれた可能性、伸びしろは非常に感じさせてもらいましたし、見させてもらいましたし、今後が楽しみだなと思っています」
南米で奮闘した彼らが、今後のA代表の選考に絡んでくる可能性も十分にある。すでに主力に定着したの冨安健洋や堂安律、一足先にデビューした久保建英らに続く選手は近いうちに出てくるだろう。そこで本格的な「世代間の融合」が加速していく。
そして、コパ・アメリカでは来年の東京五輪でオーバーエイジが入った際のシミュレーションができたことも大きかった。本番でいきなり上の年代の選手が入ってくる難しさをこの段階で経験し、川島永嗣、植田直通、柴崎岳、中島翔哉、岡崎慎司の5人がピッチ内外で見せた振る舞い、それら全てが東京五輪世代の若手たちの新たな基準にもなる。
2016年のリオデジャネイロ五輪でオーバーエイジの選手たちとのプレーを経験している植田は「(いきなりチームに入ってくるのは)難しそうだなと思っていた」と語っていたが、大会1年前からそういったベテランたちの組み込みが始まっていれば、本番での苦労も軽減されるはず。
さらに、今後コパ・アメリカやトゥーロン国際大会を経験した若い選手たちがA代表に当たり前に入っていくようになれば、「東京五輪代表≒A代表」という一種の理想の形を見出せる。
もはや東京五輪を目指しているだけでは東京五輪に出られるほど甘くなく、今からその先のA代表入りを見据えて成長のステップを1段飛ばしで踏んでいかなければ、東京五輪代表に選ばれることは難しくなるかもしれないということだ。世代交代でバトンの受け継ぎを進めながら、五輪本大会の時点でそうなっていることが森保監督の構想の一部に入っているのではないだろうか。
指揮官本人も「東京五輪のことを考えた時にも、同世代だけでやるのではなくて、A代表としてオーバーエイジもその年代の選手も含めても競争があって、最後に東京五輪の舞台に立てるということを改めてチームとして感じてもらえたと思います。今まで言葉で言っていて何となく感じていたものが、より現実的に『競争』と『融合』という部分を感じてもらえたのではないかなと思います」と南米で掴んだ成果として2つの要素における手応えを挙げていた。
日本代表はネクストステージへ
キャプテンを務めた柴崎岳はコパ・アメリカを終えて、若手の台頭とA代表への定着、選手層の拡大、激しい競争の重要性をはっきりと口にしている。
「試合ごとに成長していく彼らの姿を、僕だけじゃないですし、メディアの皆さんも見ていたでしょうし、これを大きな財産として成長しなければいけない。A代表でプレーしている身としては、僕らの今いる世代に食ってかかっていくべき世代だと思いますし、そういった競争力を生むことが(A代表の)選手層の厚さにもつながってきます。
ワールドカップの時も言ったんですけど、やっぱり23人誰が出ても同じくらいのパフォーマンスの選手が揃わないと、勝つことはもちろん不可能だと思うので。現にバリエーションの少なさという意味では、ロシアワールドカップでも勝てなかった。なので、いろいろな選手が下(の世代)からくるというのはいいことだと思いますし、そうならなければいけないと、個人的には思っています」
目前に迫った東京五輪だけでなく、その後のカタールワールドカップ、さらには日本サッカーの未来も見据えた継続的な強化の必要性は言わずもがな。森保監督は2つの代表チームの方向性を合わせていくことによって、「競争」と「融合」を推し進め、「日本代表」という大きく強いグループを作ろうとしている。
これまで言葉にはしていながらぼんやりとしていたものが、より具体性をともなって提示された。真の森保ジャパンのチーム作りは、ここから次のステップへ進んで行くはずだ。指揮官は自らの信念を貫くのみ。今一度、日本代表監督就任会見での言葉が蘇ってきて、あの時から彼の頭の中にあった構想は着実に体現されていると実感している。
「日本サッカーに関わるたくさんの方々の力を借りられれば、不可能が可能に変わり、2つのチームを同時に見ていくことが大きな成果につながると思っています」
2019年6月。この1ヶ月間は、日本代表にとって大きなターニングポイントとして歴史に刻まれることになるかもしれない。
(取材・文:舩木渉【ブラジル】)
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