「フットボールが母国に帰ってくる」
1992年にロンドンに移住して、フットボール熱が自分の中で最高潮に盛り上がっていた頃、EUROがイングランドで開催されるという夢のような機会がやってきた。
イングランドにとっては、やはり自国で開催して見事優勝をおさめた1966年のW杯からちょうど30年目にあたるということで、盛り上がりっぷりも相当で、人気コメディアンのデイヴィッド・バディールとフランク・スキナーが歌った応援ソング『スリー・ライオンズ』は、もう本当に、朝から晩まで、街中で流れていた。
It’s coming home, it’s coming home, it’s coming…football’s coming home..♬
帰ってくる、帰ってくる、フットボールが母国に帰ってくる…
テリー・ベネブルズ監督に率いられた当時のイングランド代表は、スチュアート・ピアースやデイヴィッド・シーマン、トニー・アダムスらベテランに、全盛期だったアラン・シアラー、ポール・ガスコイン、ポール・インス、そして頭角を現してきたヤングスターのスティーブ・マクマナマンやロビー・ファウラーらが加わった、キャラクターの濃〜いチームで、国民からも大人気だった。
まだ駆け出しライターだった自分にとっても、この大会は取材ではなく、チケットを買って、観客として思いっきり楽しめる最高のイベントだった。
グループリーグを無敗で勝ち上がったイングランドは、準々決勝でスペインをPK戦の末に下して準決勝に進出、ドイツと対戦することになった。
胃袋が締め付けられるような展開
66年W杯決勝戦の対戦相手だった彼ら(当時は西ドイツ)とは、決勝で当たってまたしても破って優勝! というのが美しいシナリオだったけれど、ともかく、ドイツと決勝進出をかけた戦いに挑んだ。
グループリーグ3戦全戦、そしてスペインとの準々決勝でもPKを決めた主砲のシアラーが、開始早々に先制点をゲット!
ここでウェンブリーは沸きに湧いた。ただ、相手が相手だけに楽観ムードはなかった。
案の定、ほどなくしてシュテファン・クンツに一点を返され、1-1のままレギュラータイムが終了。
当時はまだ、サドンデスのゴールデンゴール・ルールがあったから、延長戦の緊張感はハンパなかった。
右ポストを直撃したダレン・アンダートンのシュート、シアラーの右からのクロスにゴール真正面で飛び込んだが、あと1歩届かなかったガスコインのスライディング…。そのたびに悲鳴のような歓声が沸きあがり、胃袋がギュウっと締め付けられた。
そして準々決勝に続き、試合はPKへと突入する。
イングランド側のオーダーは、スペイン戦のときとまったく同じ。
先陣を切るのがシアラー、そしてデイヴィッド・プラット、ピアース、ガスコイン、テディ・シェリンガムと続く。
チームの中でも『PK巧者』とおぼしき5人はきっちり成功させた。スペイン戦と合わせて、ここまでイングランドはPKで一人の失敗者も出さなかった。
あとは祈るしかない…
しかし相手も5人全員が決めて、イングランドの6人目には…ちょっと意外な選手が歩み出た。DFガレス・サウスゲートだ。インスやマクマナマンやアンダートンがいるのになぜ彼? PK得意だったっけ?
という不安が現実になってしまったかのごとく、彼が蹴ったちょっと弱々しいシュートは、しっかりコースを読まれてGKアンドレアス・ケプケに止められた。
あとは祈るしかない…。ドイツの6人目が外すことを…。あるいはシーマンが、スペイン戦のときのように止めてくれることを…。
がしかし、主将アンドレアス・メラーの蹴ったシュートは、ゴールネットの天井を射抜くような、セーブ不能の完璧な一撃だった。
頭が真っ白になる、というのはまさにあの瞬間のときのようなことを言うのだろう。
これは何かの間違いじゃないか? まだ試合は終わっていないんじゃないか…?
試合中になにか重大なペナルティがあって再試合になるんじゃないか、とか、あとでビデオを見たら、ドイツ側のPKに、ほんとは入っていない1本があったんじゃないか、とか、往生際の悪い考えばかりがグルグル湧いてきて止まらなかった。
試合が始まるころはまだ明るかったが、スタジアムを出るときには、あたりは真っ暗になっていた。
あの有名な、ウェンブリーに続く長いブリッジを、街頭に照らされて、人波に押されるようにやっとの思いで一歩一歩足を前に出しながら駅に向かっている途中も、この一瞬でイングランドのEUROが終わってしまったことが信じられず、頭はまったく現実を受け入れていなかった。
届きそうで届かないトロフィー
でも、なぜだかわからないが、そして自覚しないようにしていたが、心の奥底には、「ああやっぱりな」という思いもあった。同じくウェンブリーで観ていたスペイン戦のときのような「絶対にこの試合は勝つ!」という確信はなぜだか持てなくて、「PKになったら、今度は負けるかも」という思いが、どこかにあった。
イングランドは、この日のユニフォームも悪かった。
白シャツに紺パンツの、スッキリしたファーストユニではなく、上下グレーのセカンドユニだったのだが、このぼんやりしたグレーの上下がなんとも勝運がなさそうだった…。
なにもやる気が起こらない、脱力感から復帰できたのは、どれくらい経ってからだっただろうか。
あれほどの喪失感を味わった試合は、その後もなかったかもしれない。
Three lions on the shirt (胸にはスリー・ライオンズ)
Jules Rimet still gleaming (ジュールリメ杯だってまだ輝いてる)
Thirty years of hurt (30年間辛い思いをしてきたけど)
Never stopped me dreaming (それでも夢見ることは決して諦めたりしないんだ)
あれからさらに20年以上、辛い思いをし続けたイングランドファンは、昨年のロシアワールドカップで、ふたたび優勝まであと1歩の夢をみた。けれど、準決勝でクロアチアに敗れて、決勝進出は叶わなかった。
あと1歩、届きそうで届かないトロフィー。
それでもスリー・ライオンズを崇める者たちは、夢を見続けるのだ。
いつか母国に、栄冠が帰って来ることを願って…。
(文・小川由紀子)
【了】