コパは評価していい大会だったのか
試合終了間際、久保建英のゴールで劇的な勝利かと思われたが、無情にも旗が上がった。VARを経てオフサイド。ゴールは幻に終わり、日本対エクアドルはドローに終わった。日本代表は2分1敗という成績で、コパ・アメリカ2019(南米選手権)を後にした。
日本代表は大会前から厳しい状況におかれていた。海外組を十分に招集できず、Jリーグの中断もなし。東京五輪世代を中心とするフレッシュなメンバー構成となった。このような状況下にあってウルグアイ、エクアドルに引き分けたことを評価する向きもあるだろう。
だが、それには同意できない。
日本代表は日本サッカーの象徴である。それがどのような形であれ、A代表を名乗るのであれば、このチームがA代表であり、ベストメンバーだ。招集に失敗した選手がいたとして、怪我をして呼べない選手がいたとして、それも日本サッカーの実力である。
A代表は結果がすべてである。ましてやコパ・アメリカは真剣勝負の舞台で、勝ちに行くための大会だ。いかにして勝つかを鍛えるための格好の標的で、グループステージ敗退という結果にもかかわらず、あまりに前向きな評価は、むしろほめ殺しに近い。
もちろんこれだけの経験を積めば、選手個人の成長は期待できる。ただし、それは全体を細分化した上での収穫の1つに過ぎない。そもそも、選手・監督らは全力で勝利を目指しているわけで、「勝てなかったがいい大会だった」と総括してはチームにも失礼である。
良きスパーリングパートナーで終わっていいのか
大会期間中、日本とカタールの参加を疑問視する声があったのは事実。しかし、私はそれよりも圧倒的に多くのポジティブな意見を聞いた。
特に日本がウルグアイに引き分けてからはより顕著になった。ウルグアイのタバレス監督、エクアドルのゴメス監督は日本を称賛し、南米のメディアと話してもほとんどが日本を評価してくれた。
「技術がある」「スピードがある」「あの10番は止められない(中島のこと)」など。自国チームをほめられるのは嫌な感じはしない。むしろ心地よい。だが、二度三度と同じようなことを聞くと、微妙な気持ちになってくる。
ようするに、南米各国にとって日本は敵としての認識が薄いのだ。「なめている」とも違う。彼らは日本をしっかり分析してくる。「日本は歯ごたえのあるいいチームだ、次も対戦したい」、そんなふうに思っているかもしれない。それは、敵というより良きスパーリングパートナーだ。
歯ごたえのある食べ物は何度でも食べたくなる。かつて日本は歯ごたえがなかった。取るに足らない相手であり、そういう時代からすれば大きく成長したのは間違いない。だが、その先にはまだ到達していない。
日本は噛み切れない相手、噛んだら吐きたくなるような相手、噛みつきたくない相手ではない。
森保一監督は「勝ちきれなかった」と嘆いた。現場はその悔しさを一番認識しているだろう。リップサービスがなくなり、居心地の悪さを感じたとき、日本はようやく敵として認識されたことになる。そこに到達しなければ、今後も善戦止まりだ。
「日本よくやった」という心地よさに満足してはならない。嫌悪感を持たなくてはならない。その心地よさは成長を阻害する。
(取材・文:植田路生【ブラジル】)
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