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日本代表 5年前

敵対視されない日本代表。善戦も未勝利、「心地よさ」に嫌悪感を【コパ・アメリカ】

コパ・アメリカ2019(南米選手権)で日本代表は2分1敗という結果に終わった。強豪相手に善戦したが、それを高く評価するのは適切なのだろうか。各国から称賛の声が聞かれた、ある種の「心地よさ」をどう受け止めるべきなのか。(取材・文:植田路生【ブラジル】)

text by 植田路生 photo by Shinya Tanaka

コパは評価していい大会だったのか

日本代表
日本代表はコパ・アメリカを2分1敗という成績で終えた【写真:田中伸弥】

 試合終了間際、久保建英のゴールで劇的な勝利かと思われたが、無情にも旗が上がった。VARを経てオフサイド。ゴールは幻に終わり、日本対エクアドルはドローに終わった。日本代表は2分1敗という成績で、コパ・アメリカ2019(南米選手権)を後にした。

 日本代表は大会前から厳しい状況におかれていた。海外組を十分に招集できず、Jリーグの中断もなし。東京五輪世代を中心とするフレッシュなメンバー構成となった。このような状況下にあってウルグアイ、エクアドルに引き分けたことを評価する向きもあるだろう。

 だが、それには同意できない。

 日本代表は日本サッカーの象徴である。それがどのような形であれ、A代表を名乗るのであれば、このチームがA代表であり、ベストメンバーだ。招集に失敗した選手がいたとして、怪我をして呼べない選手がいたとして、それも日本サッカーの実力である。

 A代表は結果がすべてである。ましてやコパ・アメリカは真剣勝負の舞台で、勝ちに行くための大会だ。いかにして勝つかを鍛えるための格好の標的で、グループステージ敗退という結果にもかかわらず、あまりに前向きな評価は、むしろほめ殺しに近い。

 もちろんこれだけの経験を積めば、選手個人の成長は期待できる。ただし、それは全体を細分化した上での収穫の1つに過ぎない。そもそも、選手・監督らは全力で勝利を目指しているわけで、「勝てなかったがいい大会だった」と総括してはチームにも失礼である。

良きスパーリングパートナーで終わっていいのか

 大会期間中、日本とカタールの参加を疑問視する声があったのは事実。しかし、私はそれよりも圧倒的に多くのポジティブな意見を聞いた。

 特に日本がウルグアイに引き分けてからはより顕著になった。ウルグアイのタバレス監督、エクアドルのゴメス監督は日本を称賛し、南米のメディアと話してもほとんどが日本を評価してくれた。

「技術がある」「スピードがある」「あの10番は止められない(中島のこと)」など。自国チームをほめられるのは嫌な感じはしない。むしろ心地よい。だが、二度三度と同じようなことを聞くと、微妙な気持ちになってくる。

 ようするに、南米各国にとって日本は敵としての認識が薄いのだ。「なめている」とも違う。彼らは日本をしっかり分析してくる。「日本は歯ごたえのあるいいチームだ、次も対戦したい」、そんなふうに思っているかもしれない。それは、敵というより良きスパーリングパートナーだ。

 歯ごたえのある食べ物は何度でも食べたくなる。かつて日本は歯ごたえがなかった。取るに足らない相手であり、そういう時代からすれば大きく成長したのは間違いない。だが、その先にはまだ到達していない。

 日本は噛み切れない相手、噛んだら吐きたくなるような相手、噛みつきたくない相手ではない。

 森保一監督は「勝ちきれなかった」と嘆いた。現場はその悔しさを一番認識しているだろう。リップサービスがなくなり、居心地の悪さを感じたとき、日本はようやく敵として認識されたことになる。そこに到達しなければ、今後も善戦止まりだ。

「日本よくやった」という心地よさに満足してはならない。嫌悪感を持たなくてはならない。その心地よさは成長を阻害する。

(取材・文:植田路生【ブラジル】)

【了】

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