よくわからないものが、よくわからないままで
言ってしまえば、ジダンは一介のボールアーティストにすぎない。
重要な試合にはよく得点したが、コンスタントにとるわけではなかった。パスは上手かったが、もっと上手い選手は他にもいた。味方からボールを預かり、キープして短いパスを渡す。やっていたのは、ほぼそれだけ。しかし、それだけで敵は崩れていった。フィールドにジダンが存在する、それだけでフランスは自信を持てた。あのトラウマを忘れることができた。
ジズー自身がしていたことはマルセイユの集合住宅の中庭でやっていたことと、それほど違いはないと思う。ただ、プレッシング全盛の時代だった。奪えるはずのボールを奪えない、たったそれだけのことなのだが、緻密な守備戦術はジダンの前で冷や汗をかき続けた。
ジダンにプレスは効かない。プレッシング戦術に忠実であればあるほど、守備に穴が開いてしまうジレンマに陥った。時代錯誤の恐竜じみた選手だったからこそ、最先端の戦術に引導を渡すことができた。やがてバルセロナがグループで崩壊させてプレッシング時代を終わらせるが、ジダンはその役割を1人で引き受けていた。
ベルベルの血を引き、東洋的な細長い目のジダンは感情が表に出ない。何を考えているのかわからず、わかったときはたいがい手遅れだ(頭突きをするか何かしている)。子守役だったデシャンは98年以来のワールドカップ優勝を監督としてもたらし、ジダンはレアル・マドリーで前人未踏のCL3連覇を成し遂げた後、唐突に辞職し、そして唐突に復帰している。
パリの夜に浮かんでいた月のようなボールが何を意味していたか。そのときはよくわからなかった。それが時代を動かしていく力の最初だったと気づくのは後になってからだが、不思議さは不思議さのまま現在でも残っている。よくわからないものこそが、物事を変えていくのだ。よくわからないままで。
(文:西部謙司)
【了】