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日本代表 5年前

92年ダイナスティカップ。カズが覚醒した韓国撃破。日本に新たなストライカーが生まれたJリーグ開幕前夜【私が見た平成の名勝負(1)】

国内外で数多の名勝負が繰り広げられた約30年間の平成時代。そこで、フットボールチャンネルは、各ライターの強く印象に残る名勝負をそれぞれ綴ってもらう企画を実施。第1回は平成4(1992)年8月に行われたダイナスティカップ1992決勝に挑んだ日本代表の激闘を振り返る。(文:藤江直人)

シリーズ:私が見た平成の名勝負 text by 藤江直人 photo by Getty Images

Jリーグ開幕前年

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三浦知良【写真:Getty Images】

 待てど暮らせど、中国・北京発の一報が入って来ない。平成4(1992)年8月。当時勤務していたスポーツ紙の編集局で、オランダ人のハンス・オフト監督に率いられる日本代表が臨んでいた、ダイナスティカップ1992決勝の結果を待っているうちに日付は29日から30日に変わっていた。

 おりしもバルセロナ夏季五輪が閉幕した直後。取材団を送り込んでいた関係で会社全体として予算が逼迫していたため、北京で開催されたダイナスティカップへの担当記者派遣は見送られた。Jリーグが産声をあげる前年における、サッカーが置かれたステータスの低さを物語っている。

 同業他社も同じような状況に置かれていて、北京へ向かったメディアは5社前後だった。残る社はテレビやラジオを含めたメディアへ向けて、さまざまなジャンルのニュースを配信する共同通信や時事通信の記事が頼りになる。筆者が所属していたスポーツ紙は共同通信に加盟していた。

 共同通信に加盟しているメディアには、専用のホットラインが設置されている。まもなく配信されるニュースの概要がスピーカー越しにアナウンスされ、共同通信の特ダネやビッグニュースの場合は大音量のチャイムがまず鳴り響く。そのたびに編集局内に緊張感が走ったことを思い出す。

 しかし、韓国代表とのダイナスティカップ決勝に関しては、1-1のまま延長戦に入った直後から共同通信のアナウンスが途切れた。インターネットが生み出される前であり、さらにはテレビの中継もなかった。舞台となった北京工人体育場で何が起こっているのか、さっぱりわからない。

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