高まるベスト8入りの機運
平成22(2010)年南アフリカワールドカップ16強という予想外の成功で、当時26歳の長谷部誠や24歳の本田圭佑、23歳の長友佑都といった20代半ばの面々が自信をつけたこともあり、4年後のブラジルワールドカップは8強超えの機運が高まった。
時を同じくして香川真司がボルシア・ドルトムント、内田篤人がシャルケ、長友がチェゼーナ、川島永嗣がリールセと代表主力候補が続々と欧州挑戦。揃って試合に出て、活躍し始めたことも、期待を大いに膨らませた。
そのタイミングでやってきたのが、イタリアのビッグ3を率いたことがあるアルベルト・ザッケローニ監督だった。希代の戦術家として知られたザックの就任初戦だった平成22(2010)年10月のアルゼンチン戦で、フレッシュな日本はメッシ擁する強豪を1-0で一蹴。これで「史上最強」の呼び声が一気に高まっていく。
その評価をさらに高めたのが、翌年1月のアジアカップ。日本は序盤から大苦戦を強いられながらも勝ち上がり、宿敵・韓国を準決勝で下し、ファイナルでオーストラリアを延長の末に撃破。2大会ぶりのアジア王者に輝いたのだ。
この大会で22歳の吉田麻也が新たな守備の要として使えるメドが立ち、MVPに輝いた本田も頼もしいエースに飛躍するなど、新生ジャパンには凄まじい勢いが感じられた。
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