「統一感を保つのが容易ではなかった」
しかし、公開練習が続いたため、福島には連日1万人を超えるファンが押し寄せ、選手たちは集中を保つのが難しくなった。ベースキャンプ地のドイツ・ボン入り後も単調な日々が続く。
キャプテン・宮本恒靖は「福島・ボンを通じて非公開練習がほぼなく、報道陣から毎日囲まれる人とそうでない人にバラつきが出て、チームの統一感を保つのが容易ではなかった」と後に語ったが、最高の準備ができたとは言い切れない状況だったのは確かだ。
もう1つ、難しかったのがコンディション調整だ。5月末から6月初旬にかけては真冬のような寒さで、日本代表は十分な暑さ対策ができなかった。この時期のドイツとのテストマッチで勝利寸前まで行ったことで、チームに過信も生まれた。
「ピーキングが早すぎた」という反省もあったが、この大会の日本代表はドイツ戦を境に調子を落とし、本番を迎えることになってしまったのだ。
初戦・オーストラリア戦は6月12日。キックオフ時の気温は35度に迫る猛暑で、ピッチ上の体感温度は40度に達する過酷な環境。暑熱対策をしなかった日本は前半こそ中村俊輔のラッキーなゴールで先制したものの、後半になって徐々に足が止まっていく。
そこに追い打ちをかけたのが、坪井慶介の負傷退場だった。代役に指名された茂庭照幸は追加招集で状態が万全でなく、連係も完成されていなかった。このアクシデントは日本に重くのしかかった。
敵将、フース・ヒディング監督はこの期を逃さなかった。ティム・ケイヒル、ジョシュア・ケネディ、ジョン・アロイ―ジといった切り札を次々と投入し、パワープレーを仕掛けたのだ。
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