指揮官も絶賛した本田のリーダーシップ
メルボルン・ビクトリーでは主に4-3-1-2の右インサイドハーフとして攻守に奔走し、中盤の低めの位置から12ゴールに関与した。序盤戦はシーズンMVPに推す声もあるほどのハイパフォーマンスを披露し、負傷離脱する前の8試合で5得点3アシストをマークしていた。
2月に復帰してからは2得点2アシストとペースが落ち、「ホンダは復帰してからシーズン序盤のリズムを全く取り戻すことができなかった」と豪放送局『SBS』に指摘されてはいた。それでも「チームにも同じことが言え」て、「Aリーグで最も優れた選手の1人であることを証明した」とシーズンを通しての貢献には賛辞が送られていた。
シドニーFCに敗れた直後に行われたドーラン・ワレン・アウォーズ(日本のJリーグアウォーズに相当する授賞式)では、年間MVPにあたる「ジョニー・ワレン・メダル」を決める識者による投票で堂々の4位タイに入った。栄えある受賞者となったウェリントン・フェニックスのFWロイ・クリシュナとはわずか3ポイント差しかなかった。
欧州のトップリーグで評価されていた質の高さを存分に発揮し、Aリーグ全体に大きなインパクトをもたらした本田。もちろんメルボルン・ビクトリーのチーム内でも絶大な影響力を発揮していた。
今月8日に行われたAFCチャンピオンズリーグ(ACL)のグループリーグ第5節、アウェイ韓国での大邱FC戦でケビン・マスカット監督や選手たちを直撃すると、本田の存在感の大きさがよりリアルなものとして浮かび上がってきた。
「彼は加入当初からチームに対し絶大な影響力を発揮していた。そもそもケイスケのことは何年も見続けてきた。例えば日本代表の試合などで。そうした経験から我々は彼がトッププレーヤーだと知っていたんだ。もちろんもう22歳ではなく、ケイスケは32歳なのだが、若い頃と変わらないクオリティがあり、チームの全員がそれを目の当たりにしている。彼は情熱や経験、そしてプロフェッショナリズムを見せることで、チームを組織としてまとめてくれた」
マスカット監督は手放しでメキシコのパチューカから獲得したベテランを称賛する。本田自身も、豪『FOXスポーツ』のインタビューで「彼はクレバーだと思うし、すべての選手に対して深く考えている。もし彼が監督でなかったら、僕はここには来ていないと思う」と、メルボルン・ビクトリー移籍を選んだ理由に情熱あふれる指揮官の存在を挙げていた。