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日本代表 6年前

うす笑いを浮かべた中田英寿、肩を落とした中村俊輔。最強軍団の挑戦は早すぎる終戦を迎えた【日本代表平成の激闘史(7)】

シリーズ:日本代表平成の激闘史 text by 元川悦子 photo by Getty Images

予想以上に早かった終戦

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全4試合に先発出場した中村俊輔【写真:Getty Images】

 それでも同じタイミングで南アフリカがスロバキアに敗戦。日本はグループ2位で8強入りした。

 次の相手はアメリカ。「いい相手に恵まれた」と多くの人々が感じただろう。現地にいた筆者もその1人で、意気揚々とアデレードへ向かった。ハインドマシュ・スタジアムは平成10(1998)年2月の岡田ジャパンの合宿で訪れており、中田や柳沢、中村には慣れ親しんだ地。そのアドバンテージも大きいはずだった。

 トルシエはスタメンを南アフリカ、スロバキア戦と同じ陣容に戻して大一番に向かった。指揮官ももちろん自信があっただろうが、選手たちはそれ以上にメダルへの大きな期待を抱いていた。実際、試合は日本優位に進み、柳沢が前半30分に先制。1-0で前半を折り返した。

 ところが、後半から3トップにしたアメリカがパワープレーを多用。強引に流れを引き寄せてきた。トルシエは苦境を打開すべく、柳沢と三浦を交代。中田を前線に上げ、中村をトップ下、三浦を左サイドに置いたが、1点を奪われ、同点に追いつかれてしまう。

 それでも直後に日本は、中村のループパスから高原が値千金の勝ち越し点を挙げる。このまま行けば、メダルに王手をかけられる一歩手前まで行った。が、後半終了間際に酒井が相手を倒してPKを献上。それを決められ、延長に持ち込まれてしまった。

 それでも決着がつかず、勝負はPK戦にもつれこんだ。3-3で迎えた4人目。日本は大黒柱の中田英寿がまさかのミス。その直後、彼はなぜか薄ら笑いを浮かべた。中村がガックリと肩を落としたのとは対照的だった。

 こうして32年ぶりのメダルへの挑戦は無情にも幕を閉じた。ただ、彼らの底力を持ってすれば、優勝したカメルーンにも、2位のスペインにも勝てただろう。そう考えるとアメリカ戦のPK負けはあまりに残念だ。このチームを超える五輪代表を早く見てみたい。

(文:元川悦子)

【了】

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