アトランタの悪夢がよぎる
ところが、ブラジルが南アフリカに1-3で敗れたことで、ブラジルと南アフリカが勝ち点3で並んだ。最終戦でブラジルが日本に勝ち、南アフリカもスロバキアに勝ったら、3チームが勝ち点6で並ぶ。となれば、8強入りの行方は得失点差勝負となる。
アトランタ五輪のときは2得点差で3位に甘んじ、敗退を余儀なくされているだけに、それだけは回避する必要がある。このギリギリの状況に追い打ちをかけるように、日本は中田英寿と森岡という攻守の要が出場停止。総合力で戦い抜くしかなかった。
20日のブラジル戦は森岡が務めていた3バック中央に宮本、トップ下は中田の代わりに中村、左サイドに三浦が入るという形で挑んだ。中村はトルシエ体制発足後からずっと左サイドで使われてきて「自分が削り取られる気がする」という発言をしたほどストレスを溜めていた。この大一番は中田から定位置を奪い取る千載一遇の好機。気合を入れてピッチに立った。
しかし、アレックス、ロナウジーニョら非凡なテクニックを備えたタレント軍団に対し、日本は序盤から防戦一方。開始5分には、左サイドのファビオ・アウレロのクロスを頭で合わせたアレックスに先制点を決められ、いきなりのビハインドを強いられた。
その後も日本はブラジルに決定機を作られ続ける。何とか組織的守備で応戦したが、前半の日本はシュート0という有様だった。
後半に入って相手が引き気味になったことから、日本は多少ボールを持ち始めたが、チャンスらしいチャンスは中澤のヘッドや中村のFKくらい。ネットを揺らすことはなかった。
0-1でタイムアップの笛を聞いた瞬間、中村は落胆し、ベンチの中田に歩み寄って「ヒデさん、ダメでした」と感情をぶつけたという。このチャンスをモノにしていたら、彼自身が2年後の日韓大会でトップ下に君臨していた可能性もあっただけに、やはり悔やまれた。