正しかったトルシエの先見の明
この時点で日本国内は大騒ぎになり、小野や本山、高原らの知名度は飛躍的にアップした。彼らがナイジェリアに赴く前は、筆者ら限られたユース取材陣だけが見に行っていたが、日本中のメディアがこのチームに関心を抱き、ワイドショーなどでも取り上げられていた。
こうした喧騒の中、4月24日の決勝・スペイン戦を迎えたが、日本は肝心の小野が出場停止。トルシエは氏家英行を先発起用したが、シャビ率いるタレント軍団を封じることはできなかった。南の5ステップの反則による間接FKから開始5分に先制点を奪われ、前半だけで3失点。後半にも追加点を取られて、0-4の惨敗を喫した。
「あの試合だけはどうにもならなかった」と小笠原や遠藤、本山らが口を揃えていたが、世界トップとの差を肌で実感できた経験値は大きかった。
小野と本山がベストイレブンに選ばれ、高原、中田浩二、稲本、酒井がシドニー五輪へ赴き、小笠原や曽ヶ端準(ワールドユースではバックアップメンバー)も日韓ワールドカップへ参戦するなど、黄金世代はこれを機に日本サッカーの歴史を塗り替えていく。
平成13(2001)年に海外へ赴いた小野や稲本、高原が海外移籍の門戸を開き、評価を上げたことで、その後の大量移籍時代が到来したと言っても過言ではない。遅咲きだった遠藤は日韓ワールドカップ直後にA代表デビューを飾り、代表152試合という前人未到の記録を作った。
トルシエが「こいつらは能力がある」と見抜いた通り、ワールドユース準優勝という実績を残した彼らの日本サッカーに対する貢献度は非常に高かった。そこは今一度、再認識すべき点だろう。
(文:元川悦子)
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