トップ下・中村俊輔を輝かせたのちの名将
その監督は、のちにナポリやインテルを率いることになるワルテル・マッツァーリ(現トリノ)。当時はまだ青年監督の部類で、リボルノを1年でセリエAに昇格させた手腕が評価され、レッジーナに引き抜かれた。その彼は、普通のイタリア人監督とは違うマインドを持っていた。
「FWがボールをもらいに下がって来ても怒らないし、逆にDFが大きく蹴りだすと注意される。この人は今までの監督とは違う」
新監督の就任当初、中村俊はそんな話をしていた。実際マッツァーリは弱小クラブであっても、後ろから正確にパスを組み立て戦術的に勝ちに行くサッカーを展開しようとする気骨の持ち主だった。そしてこれは、中村俊にとっても良いことだった。
基本は3バック。その3枚のDFには単純な守備力だけでなく、パスをつなぐ能力と規律を求める。そして練習では、精密に守備のプレスやカバーリングのメカニズムを教えた上で、11対0でのフォーメーション練習を通しビルドアップのパターンをいくつも反復させる。必ずそこには、中盤の選手を経由しなければならないことになっている。
そんな戦術の中で、マッツァーリ監督は中村俊を「チームのボールポゼッションを高める上で重要な存在」として考えたのだ。
開幕前は3-5-2のインサイドMFとして試していたが、やがてボナッツォーリを1トップした上でジュセッペ・コルッチと2シャドーを組ませる形に落ち着いた。いずれにせよ、プレーゾーンは本来のトップ下だ。「このゾーンでやらせることが彼には一番合っている」と看破したのである。
シーズンが始まると中村俊にはノーゴールが続き、ゴールを求める地元メディアからの批判はそれなりに厳しかった。しかしマッツァーリ監督は、頑として考えを曲げなかった。ゴールという結果はさておき、中村俊は本来のプレーゾーンで安定したパフォーマンスを披露。正確にパスを回して、ボールも簡単に失わない様子は、指揮官の評価にかなった。
そして地力をつけたレッジーナは、予想外の結果をだしていくようになった。とりわけ、彼らは大物食いを度々起こしたのだ。