世界への壁をこじ開けた瞬間
2-2で迎えた延長後半13分。背番号8をつけた中田英寿が疲労困憊のイランDF陣をドリブルで抜いて、ペナルティエリア内に侵入。迷うことなく強烈な左足でシュートを放った。それをGKアベドザテが弾いた瞬間、快足FW岡野雅行が飛び込んできて右足を振り抜いた。
シュートが枠に吸い込まれ、ゴールデンゴールが決まると、長髪の14番はピッチを駆け回り、チームメートが追いかける。ベンチにいた岡田武史監督は号泣。途中で退いたカズ(三浦知良)も若手を力いっぱい抱きしめた。
平成9(1997)年11月16日、マレーシア・ジョホールバルのラルキンスタジアム。日本サッカー界が世界への分厚い壁をこじ開けた瞬間だった。
ここに至るまでの日本の戦いというのは苦難の連続だった。神戸連続児童殺傷事件で酒鬼薔薇聖斗を名乗った少年Aが逮捕された6月28日にフランスワールドカップ1次予選の最終戦となるオマーン戦が終わり、最終予選進出を決めた日本には4カ月の時間があるはずだった。
ところが、セントラル開催が決まっていた最終予選が7月になって急きょ、ホーム&アウェー方式に変更。初戦は9月7日のホーム・ウズベキスタン戦に決まり、準備期間が大幅に短縮された。8月28日のJリーグ外国人選抜とのJOMOカップを壮行試合にしなければならないほど、代表を取り巻く環境は慌ただしかった。
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