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日本代表 6年前

中田英寿は「ふてぶてしいくらいの自信があった」。歴史的勝利を生んだ大胆采配の裏側【日本代表平成の激闘史(4)】

時代は平成から令和へと代わり、その間、ワールドカップに6回連続出場を果たすなど、日本代表は大きな躍進を遂げた。時代は変われども、後世へと語り継ぎたい日本代表名勝負を振り返る本企画。今回は平成9(1997)年に行われた、フランスワールドカップアジア最終予選での日本代表の戦いを回顧する。(文:元川悦子)

シリーズ:日本代表平成の激闘史 text by 元川悦子 photo by Getty Images

世界への壁をこじ開けた瞬間

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当時20歳だった中田英寿【写真:Getty Images】

 2-2で迎えた延長後半13分。背番号8をつけた中田英寿が疲労困憊のイランDF陣をドリブルで抜いて、ペナルティエリア内に侵入。迷うことなく強烈な左足でシュートを放った。それをGKアベドザテが弾いた瞬間、快足FW岡野雅行が飛び込んできて右足を振り抜いた。

 シュートが枠に吸い込まれ、ゴールデンゴールが決まると、長髪の14番はピッチを駆け回り、チームメートが追いかける。ベンチにいた岡田武史監督は号泣。途中で退いたカズ(三浦知良)も若手を力いっぱい抱きしめた。

 平成9(1997)年11月16日、マレーシア・ジョホールバルのラルキンスタジアム。日本サッカー界が世界への分厚い壁をこじ開けた瞬間だった。

 ここに至るまでの日本の戦いというのは苦難の連続だった。神戸連続児童殺傷事件で酒鬼薔薇聖斗を名乗った少年Aが逮捕された6月28日にフランスワールドカップ1次予選の最終戦となるオマーン戦が終わり、最終予選進出を決めた日本には4カ月の時間があるはずだった。

 ところが、セントラル開催が決まっていた最終予選が7月になって急きょ、ホーム&アウェー方式に変更。初戦は9月7日のホーム・ウズベキスタン戦に決まり、準備期間が大幅に短縮された。8月28日のJリーグ外国人選抜とのJOMOカップを壮行試合にしなければならないほど、代表を取り巻く環境は慌ただしかった。

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