メンフィス・デパイ
PSVでその名を世界に轟かせ、マンチェスター・ユナイテッド移籍を果たしたメンフィス・デパイ【写真:Getty Images】
メンフィス・デパイ(オランダ)
生年月日:1994年2月13日
ポジション:FW
マンU在籍時成績:公式戦53試合出場/7得点6アシスト
PSVからの獲得額:3400万ユーロ(約44億円)
リヨンへの売却額:1600万ユーロ(約20億円)
差額:約24億円
オランダの名門・PSVで圧倒的な存在感を放っていたメンフィス・デパイ。2014/15シーズンには同チームのリーグ優勝に大きく貢献しており、自身も22ゴールを挙げ堂々のエールディビジ得点王に輝いている。2014年にはオランダ代表として、ブラジルワールドカップへの出場も果たした。
その活躍に目を留め、いち早く同選手の獲得に動いたのがマンチェスター・ユナイテッドだった。当時デパイはまだ21歳という若さだったが、同クラブはそのポテンシャルを非常に高く評価していたため、獲得におよそ3400万ユーロ(当時のレートで約44億円)という高額な移籍金を用意していた。そして2015年、獲得が確定した。
デパイはかつてデイビッド・ベッカムやクリスティアーノ・ロナウドら数多くの名選手が身に付けた伝説の「背番号7」のユニフォームを着用することになった。当然、背番号7を身に付けるということは、サポーターから大きい期待を寄せられる。デパイは、そんなファンからの声に応える必要があった。
デパイは加入1年目となった2015/16シーズンのリーグ戦で開幕8試合連続出場を掴み取った。その中で1得点1アシストという目に見える結果も残すなど、まずまずのスタートを切っていたのである。
しかし、シーズンが進むにつれ、オランダ人FWのパフォーマンスは落ちていくばかり。持ち味のドリブルでチャンスを生み出すことはあったものの、ゴールやアシストという重要な“結果”はまったく残すことができなかった。徐々にベンチスタートを余儀なくされることも多くなるなど、PSV時代に見せていた輝きは完全に影を潜めていた。結果、1年目はリーグ戦29試合に出場しながら2得点1アシストという最悪の成績を収めてしまった。
翌2016/17シーズン、クラブはデパイ獲得を求めたファン・ハール監督を成績不振を理由に解任。後任にはジョゼ・モウリーニョが就いた。デパイはポルトガル人指揮官の下では完全に構想外となり、リーグ戦ではわずか20分の出場、ヨーロッパリーグでも55分間の出場に留まった。
もちろん、デパイはそうした状況に満足するはずがなく、2016/17シーズンの冬に以前から同選手に興味を示していたリヨンへの移籍を決断。ユナイテッドには1年半在籍し、公式戦53試合に出場したものの7得点6アシストという成績だった。ユナイテッドの「背番号7」を背負う者として、ふさわしくないパフォーマンスに終わってしまったのである。