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Jリーグ 6年前

2007年Jリーグ。日本代表に激震、オシム監督が突然の入院と退任。鹿島黄金時代もアジアを制したのは…【Jリーグ平成全史(15)】

シリーズ:Jリーグ平成全史 text by 編集部 photo by Getty Images

主な出来事

Jリーグ 順位表 2007
2007年のJリーグ結果

 激動のシーズンだった。J1では名古屋が開幕4連勝を飾るも、前半戦終了時点で首位に立ったのはG大阪。しかし、中断期間を経てリーグ戦が再開すると、そのG大阪との直接対決を制した浦和が首位の座を奪った。かつて“お荷物”と揶揄された浦和は強豪となり、23節の神戸戦までJ1最長タイとなる16試合連続無敗という記録を生んだ。

 だが、最後に優勝したのは鹿島だった。一時は15位まで低迷したものの、小笠原満男がイタリアから復帰すると調子を取り戻して一気に順位表を駆け上がる。すると終盤まで首位を快走していた浦和が30節を過ぎたところで突然調子を落とし、優勝争いは最終節までもつれた。

 7連勝で猛追してきた鹿島は、33節で浦和との直接対決も制し首位と勝ち点差1まで迫る。そして迎えた最終節、勝てば優勝だった浦和は最下位でJ2降格が決まっていた横浜FCに0-1でまさかの敗戦。一方、鹿島は清水を3-0で下し、大逆転優勝を成し遂げた。この年がオズワルド・オリヴェイラ監督(現浦和監督)が率いた鹿島の3連覇のはじまりである。

 浦和が終盤に急失速した理由の1つと考えられているのは、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)だ。彼らはこの年、イランの強豪セパハンとの決勝を制してアジアの頂点に立っている。しかし、ACL優勝後のリーグ戦4試合で一度も勝利することができなかった。

 J2へ降格した2クラブも象徴的だった。横浜FCは三浦知良や久保竜彦といったビッグネームを擁しながら、深刻な得点力不足に悩みリーグ戦では19得点しか奪えず最下位で降格。これは2014年の徳島ヴォルティス(16得点)に破られるまで史上最少記録だった。甲府は大木武監督のパスサッカーが浸透するも、G大阪へ移籍したバレーの穴を埋められなかった。

 広島はU-20ワールドカップに出場した“調子乗り世代”と言われる柏木陽介、槙野智章、平繁龍一、さらにA代表には駒野友一や佐藤寿人と、多くのタレントを代表チームに送り出していたが、成績は安定せず低迷。最終的に京都との入れ替え戦に回り、なんとか残留を果たした。

 そんな中で広島のウェズレイがJリーグ史上3人目のリーグ戦通算100得点を達成。外国人選手としては初の偉業で、出場148試合目での達成は過去最速だった。

 J2も混戦模様だった。序盤戦で上位に進出したクラブが失速し始めると、それまで低迷していた東京VやC大阪などが調子を取り戻して追い上げる。終盤は負けたら終わりのサバイバルレースが白熱し、最終節で札幌が東京Vを抜いて逆転優勝を決めた。2位の東京Vが自動昇格、3位の京都は入れ替え戦に回った。

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