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Jリーグ 6年前

2006年Jリーグ。中田英寿引退と香川真司プロ入り。史上最強の日本はW杯惨敗、懐かしのQBK【Jリーグ平成全史(14)】

1993年に開幕したJリーグは今季で27年目を迎えている。平成とともに歩み成長し、時代は令和へと移行した。フットボールチャンネル編集部では、昨季までの26年間を1年ずつ振り返っていく。今回は2006年(平成18年)。

シリーズ:Jリーグ平成全史 text by 編集部 photo by Getty Images

2006年(平成18年)

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初戦のオーストラリア戦で逆転負けを喫するなど、ドイツワールドカップはグループリーグ敗退に終わった【写真:Getty Images】

 前年と同様1シーズン制、18チームで争われた。最大7人までベンチ入りできるようになった。J2から京都パープルサンガ、アビスパ福岡、ヴァンフォーレ甲府が昇格している。

●J1参加クラブ
鹿島アントラーズ
浦和レッドダイヤモンズ
大宮アルディージャ
ジェフユナイテッド市原・千葉
FC東京
川崎フロンターレ
横浜F・マリノス
ヴァンフォーレ甲府
アルビレックス新潟
清水エスパルス
ジュビロ磐田
名古屋グランパスエイト
京都パープルサンガ
ガンバ大阪
セレッソ大阪
サンフレッチェ広島
アビスパ福岡
大分トリニータ

●J2参加クラブ
コンサドーレ札幌
ベガルタ仙台
モンテディオ山形
水戸ホーリーホック
ザスパ草津
柏レイソル
東京ヴェルディ1969
横浜FC
湘南ベルマーレ
ヴィッセル神戸
徳島ヴォルティス
愛媛FC
サガン鳥栖

 J1から柏レイソル、東京ヴェルディ1969、ヴィッセル神戸が降格。また、愛媛FCがJFLから昇格し、この年のJ2は13クラブで争われた。

 ジーコ監督率いる日本代表は、ドイツワールドカップに出場している。中田英寿、中村俊輔、黄金世代がピークを迎え、『日本代表史上最強』と呼ばれた。確かに、個々の実力やキャリアを見れば期待が膨らむチームだったが、自主性を重んじるジーコ監督の方針で戦い方が統一されないなど問題点はあった。

 それでも、大会直前に行われた開催国ドイツとの親善試合では、チームの潜在能力を示している。相手に多くのシュートを浴びながら耐えると57分、カウンターから中村俊輔がキープ。パスを受けた柳沢敦が冷静に相手DFラインの裏へボールを出すと、高原直泰が抜け出した。GKとの一対一を決め、先制点を奪った。

 さらに65分には、PA手前で受けるとターン。相手にブロックされそうになりながら突破し、GKの位置を確認してファーサイドを射抜いた。前回大会は肺血栓塞栓症(エコノミー症候群)で出場できなかったストライカーが、優勝候補を相手に2得点の活躍を見せた。

 しかし、その後2点を返されドローで終えた。また、この試合で右サイドバックの主力である加地亮が負傷。バスティアン・シュヴァインシュタイガーの危険なタックルを浴びたためだった。結局、加地は大事な本大会初戦を欠場することになってしまった。

 そして、ワールドカップ前最後の試合となったマルタ戦は、1-0で勝利したものの低調な内容に終わった。自信を確信に変える機会を逃がし、ジーコジャパンはオーストラリア戦を迎えた。

 26分に中村俊輔がゴール前に入れたボールがそのまま決まり、日本が先制した。後半に入ると、オーストラリアは次々と攻撃的な選手をピッチに送り込む。後に日本キラーと呼ばれるティム・ケイヒル、192cmのジョシュア・ケネディ、ジョン・アロイージを投入し、前線を厚くしパワープレーを仕掛けてきた。

 ジーコ監督は78分に小野伸二を投入するも、どのような意図で天才が投入されたのかがピッチで統一されない。すると84分、相手のロングスローに対し前に出た川口能活が処理できず、こぼれたところを最後はケイヒルに決められ同点とされる。

 さらに89分、PA外でケイヒルに時間を与えると強烈なミドルシュートを突き刺され逆転を許す。そして、アディショナルタイムにはアロイージに突破され3点目を奪われた。8分ほどで3ゴールを叩き込まれ、初戦を落とした。日本ではこの試合をカイザースラウテルンの悲劇と呼ぶが、オーストラリアにとってはロジカルな勝利だった。フース・ヒディンクはパワープレーで日本を疲弊させ、一方でジーコジャパンは盛りかえす術を持っていなかった。

 続くクロアチア戦。日本は相手にPKを与えるも、川口がビッグセーブを見せる。勝つチャンスは十分にあったが、後半の決定機をモノにできない。加地がワンツーから抜け出しラストパスを送る。ファーサイドで柳沢がフリーになるも、右足アウトサイドに当たったボールはゴールに飛ばず。のちに柳沢は「急にボールが来たので」と振り返り、“QBK”という略語が誕生した。

 2戦を終えて1分1敗。決勝トーナメント進出には最終節で2点差以上の勝利が求められた。相手は王国ブラジルだった。34分、ゴール前に抜け出した玉田圭司が渾身のシュートを決めて、日本が先制に成功した。しかし、灯った希望の光はすぐに消え去る。前半終了間際にロナウドに決められ、後半も3点を追加され1-4で敗れた。

 多くのタレントを擁しながら、一枚岩になることはなかったと言われる。日本代表史上最も期待されたチームは、インパクトを残せぬまま解散となった。

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