主な出来事
中村俊輔がレッジーナに移籍した【写真:Getty Images】
ワールドカップに向け、大会前からホームスタジアムや練習場が押さえられたことにより、Jリーグクラブは影響を受けている。中でも大変だったのが、コンサドーレ札幌だ。札幌ドームの利用が制限されたため、ようやく使用できたのはワールドカップ中断が明けた1stステージ第10節だった。それまでホームゲームは、道内だったとしても室蘭や函館、加えてまさかの高知県開催もあった。
中村俊輔が海を渡ったのもこの年だ。ワールドカップでの活躍が期待されたが、トルシエ監督のサッカーに合わず土壇場で選外に。失意のどん底だったはずだが、7月にセリエAのレッジーナへ移籍した。ファンタジスタはセットプレーのキッカーも任されるなど、カテナチオの国で結果を残した。
鹿島アントラーズの背番号10はジーコ、レオナルド、ビスマルクと歴代ブラジル代表が背負ってきた。そしてこの年から、本山雅志がエースナンバーを継承することに。背番号が固定となって以来、鹿島の10番を日本人がつけるのはこれが初めてである。
Jリーグでは前代未聞の出来事もあった。札幌のエースとして前年に得点王を獲得したウィルが横浜F・マリノスに加入。ストライカーとして稼動したが、キレやすい性格も前面に出た。2ndステージ 第11節・ジュビロ磐田戦、奥大介からパスをもらえなかったことに激高し、奥を後ろから蹴りあげるというあり得ない行動に出た。これが問題視され、解雇となった。
2002年、長谷部誠がプロの世界に飛び込んだ。静岡県の名門・藤枝東高校では1学年下の世代が有名で、長谷部は決して最注目の選手ではなかった。それでも浦和スカウトの目に留まり入団。長谷部と言えば心を整え、ボランチや今ではリベロとしてチームを束ねる姿が印象的だが、当時はアタッカータイプの選手だった。
天皇杯では京都が躍進。韓国代表としてワールドカップベスト4進出に貢献したパク・チソン、松井大輔、黒部光昭らが織り成す攻撃は魅力的で、一気に優勝を果たした。