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ポール・スコールズ、史上最高の「ボックス・トゥ・ボックス」。攻守にもつ絶大な影響力【マンU伝説の「ファーガソンの雛鳥たち」(4)】

シリーズ:マンU伝説の「ファーガソンの雛鳥たち」 text by 編集部 photo by Getty Images

イングランド代表低迷の要因に?

 スコールズとマンチェスター・ユナイテッドの最初の別れは2011年5月31日に訪れた。スコールズは10/11シーズンを最後に現役を引退することを表明し、その後はコーチとしてクラブに留まる決断を下した。

 ところが翌11/12シーズンの2012年1月8日、クラブに負傷者が続出すると現役復帰を発表。37歳にして17試合で4得点を挙げる活躍を見せ、翌12/13シーズンには16試合に出場して現状クラブ最後となるプレミアリーグ優勝に貢献した。

 マンチェスター・ユナイテッドにおいては絶大な存在感と圧倒的な実績を積み重ねたスコールズだが、イングランド代表では“わずか”66試合の出場にとどまっている。

 当然ながら代表でも中心的な選手となったスコールズだが、同じ「ボックス・トゥ・ボックス」の選手としてスティーブン・ジェラードとフランク・ランパードが台頭すると、スヴェン・ゴラン・エリクソン監督は若手2人を中心として、スコールズにはサイドハーフで起用するなど補佐的な役割を求めた。

 そして、スコールズはマンチェスター・ユナイテッドに自らの力を注ぐため、2004年に29歳という若さで代表引退を決断した。スティーブ・マクラーレン監督やファビオ・カペッロ監督からの復帰要請にも首を縦に振らず、再びイングランド代表のユニホームに袖を通すことはなかったが、この決断が当時のイングランド代表の苦悩につながったのかもしれない。

 ジェラードとランパードもスコールズに匹敵する「ボックス・トゥ・ボックス」の選手だったが、2人のコンビは機能しているとは言い難く、仮にスコールズとジェラードもしくはランパードを組ませていたら、異なる結果が生まれていた可能性は十分にあるだろう。

 ポール・スコールズという選手は、それほどまでにチームに影響を与える偉大な存在だった。

【了】

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