2001年(平成13年)
日本代表は、当時世界最強のフランスに0-5と粉砕された【写真:Getty Images】
このシーズンも引き続き16チームで争われた。コンサドーレ札幌と浦和レッズが昇格している。また、ヴェルディ川崎が東京都へホームタウンを移転。チーム名も東京ヴェルディ1969に変更された。J1、J2ともに、延長戦に入った場合は4人まで選手交代が認められるようになった。
●J1参加クラブ
コンサドーレ札幌
鹿島アントラーズ
浦和レッドダイヤモンズ
ジェフユナイテッド市原
柏レイソル
FC東京
東京ヴェルディ1969
横浜F・マリノス
清水エスパルス
ジュビロ磐田
名古屋グランパスエイト
ガンバ大阪
セレッソ大阪
ヴィッセル神戸
サンフレッチェ広島
アビスパ福岡
●J2参加クラブ
ベガルタ仙台
モンテディオ山形
水戸ホーリーホック
大宮アルディージャ
川崎フロンターレ
横浜FC
湘南ベルマーレ
ヴァンフォーレ甲府
アルビレックス新潟
京都パープルサンガ
サガン鳥栖
大分トリニータ
1998年に横浜フリューゲルスが消滅したが、同クラブのサポーターを中心に横浜FCが誕生している。1999年にはJFLに参戦。奥寺康彦GM、ピエール・リトバルスキー監督体制でリーグ優勝。翌年も連覇を達成し、2001年からJ2に参加することとなった。
日韓ワールドカップを翌年に控え、日本国内でも注目度は日増しに高まっていった。そんな中で迎えた3月、フィリップ・トルシエ監督率いる日本代表は世界最強のレベルを肌で感じることとなる。
雨でぬかるんだスタッド・ド・フランスで日本の選手はいつものようにプレーできない。唯一、中田英寿だけが強豪に伍して戦ったが、一人ではフルメンバーのフランスには及ばず0-5と粉砕された。前年に行われたハッサンⅡ世杯では2-2と善戦した日本。しかしその後、フランスはEURO2000を制覇。さらにスケールアップし、2001年3月に日本の前に立ちはだかった。
日本は1998年にワールドカップ初出場を果たし、翌年にはワールドユースで準優勝。2000年のシドニー五輪でベスト8入りし、世代間の融合を遂げた上で同年のアジアカップを圧倒的な力で制した。右肩上がりの進化を見せた日本だったが、世界最強チームのクオリティに直面。自信を砕かれた面はあっただろう。しかし、この経験が1年後の大舞台に繋がっていく。