2000年(平成12年)
AFCアジアカップ2000を制した日本代表【写真:Getty Images】
川崎フロンターレとFC東京が昇格を果たし、引き続き16クラブで争われた。
●J1参加クラブ
鹿島アントラーズ
ジェフユナイテッド市原
柏レイソル
FC東京
ヴェルディ川崎
川崎フロンターレ
横浜F・マリノス
清水エスパルス
ジュビロ磐田
名古屋グランパスエイト
京都パープルサンガ
ガンバ大阪
セレッソ大阪
ヴィッセル神戸
サンフレッチェ広島
アビスパ福岡
●J2参加クラブ
コンサドーレ札幌
ベガルタ仙台
モンテディオ山形
水戸ホーリーホック
大宮アルディージャ
浦和レッドダイヤモンズ
湘南ベルマーレ
ヴァンフォーレ甲府
アルビレックス新潟
サガン鳥栖
大分トリニータ
この年のJ2は水戸ホーリーホックが新たに加盟。J1から湘南ベルマーレと浦和レッズが降格してきた。11クラブで争われ、J1が中断期間に入った時もJ2はシーズンが続いた。
Jリーグも少しずつ成熟し、日本人選手のレベルも高まっていった。そんな中で迎えたAFCアジアカップ2000で日本代表はクオリティを存分に発揮することとなる。フランスワールドカップ組に黄金世代と各年代が融合を果たし、大黒柱の中田英寿はローマでのポジション争いに専念するため招集できなかったが、魅力的なチームが完成した。
グループリーグの3試合で13得点を叩きだすなど格の違いを見せつけたトルシエジャパン。フラット3という独特な守備戦術はまだ成熟が必要な段階だったが、それでも危なげなく決勝トーナメントに進出すると準々決勝のイラク戦では今も語り継がれるゴールが生まれる。前半8分、右サイドでFKを得ると、中村俊輔はゴール前ではなくPA外にボールを供給。これに反応した名波浩が丁寧な左足ボレーを決めた。
中国との準決勝を3-2で制すと、決勝ではサウジアラビアと対戦。相手の猛攻を受ける中、守護神・川口能活がビッグセーブを連発し、ゴールを割らせない。そして1-0と勝利し、アジアカップ制覇を果たした。現在ほどアジアのレベルが拮抗していなかった時代で、かつ日本のレベルが図抜けていた大会だった。このチームは日本代表史上最強といえる集団だった。