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Jリーグ 6年前

1998年Jリーグ。W杯3戦全敗も世界に立つ。一方で横浜Fが消滅…希望と失望が混在した1年に【Jリーグ平成全史(6)】

シリーズ:Jリーグ平成全史 text by 編集部 photo by Getty Images

主な出来事

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横浜フリューゲルスの消滅に直面した楢崎正剛【写真:Getty Images】

 1998年は、後に黄金世代と呼ばれる選手たちがプロ入りした年だ。特にリーダーの小野伸二は別格だった。少年時代から天才的なプレーを見せてきたが、それはJリーグには進んでも変わらず。むしろ、この時すでに誰よりも巧いくらいだった。

 小野は開幕戦でいきなりスタメンフル出場を果たすと、第2節には初ゴールを記録。GKとの一対一を冷静に制して決めたものだった。結局この年、9得点記録。息を呑むようなパスなど随所に高次元のプレーを見せつけ、新人王とベストイレブンに選出されている。

 前年の中村俊輔、この年の小野など期待の若手がJリーグに出現する中、孤高の戦士・中田英寿がイタリアに渡ったのも1998年である。フランスワールドカップで世界にアピールし、ペルージャに移籍した。当時世界最強と謳われたリーグで、開幕戦から出場。王者ユベントスを相手に2得点を挙げるなど鮮烈なデビューを果たしている。

 愛するクラブの消滅――。ファン・サポーターが奈落の底に突き落とされたのも1998年だった。この年の10月、横浜フリューゲルスが横浜マリノスに吸収合併されることが発覚。出資会社の一つだった佐藤工業が経営不振のため撤退を表明し、全日空も赤字に陥っていた。横浜Fのサポーターは反対運動を展開し、62万を超える署名が集まった。しかし合併が覆ることはなく、12月2日に調印式が行われた。

 そうした状況でチームは奮起。合併発表後の初戦となったセレッソ大阪戦を7-0と勝利すると、全勝でリーグ戦を終えた。その後の天皇杯でも勝利を重ね、トーナメントを勝ち進んでいく。準々決勝でジュビロ磐田、準決勝では鹿島アントラーズと当時の2強をなぎ倒すと、元日の決勝戦で清水エスパルスと対戦した。

 先制を許すなど前半は相手ペースで進んだものの、ロスタイムのゴールで同点とする。そして72分、吉田孝行が逆転弾を奪って勝負あり。有終の美などという表現で済ませることはできないが、クラブが消滅する状況でチームは天皇杯制覇という結果を残し、その歴史に幕を閉じた。

 選手たちは散り散りとなったが、それぞれが奮闘。守護神の楢崎正剛は名古屋グランパスエイトに移籍し、2018年に同クラブで現役生活を終えた。そのため、スタメン表の前所属クラブ欄からフリューゲルスの名前が消えることはなかった。

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