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ストイコビッチとベンゲルがいた。名古屋にとって誇りだろう【写真:Getty Images】
日本代表がフランスワールドカップ出場へ動き出した1995年、Jリーグにも超新星が現われた。中田英寿がベルマーレ平塚に入団したのだ。前年にJリーグに所属していた12クラブ中11クラブがオファーを出し、最終的に平塚を選ぶことになる。ルーキーイヤーから存在感を発揮。攻撃的で自由な雰囲気のあるチームでノビノビとプレーし、8得点を記録している。
ドラガン・ストイコビッチはJリーグ最高の選手との呼び声高い名手。彼が本領を発揮したのは1995年からだ。94年に加入し、雨でぬかるんだピッチをリフティングで突き進むなど美技を見せていたが、レフェリーに抗議することも多かった。
“覚醒”の一因は間違いなくアーセン・ベンゲル監督就任だろう。後にアーセナルで無敗優勝を成し遂げる知将は、名古屋に戦術を与え、ストイコビッチをエースとして躍動させた。そしてこの年、ピクシーはJリーグMVPを受賞することになる。ストイコビッチとベンゲル。偉大な2人がいたという事実は名古屋にとって誇りだろう。
さらにこの年は、今も語り継がれる伝説のゴールが生まれている。主役となったのは鹿島アントラーズのレオナルドだ。NICOSシリーズ 第19節・横浜フリューゲルス戦。PA手前でパスを呼び込んだ10番は、左アウトサイドでボールを浮かし、相手のスライディングをいなす。そして3度のリフティングでDFを翻弄、さらに腿でコントロールすると、タイミングを外してハーフボレーを放った。GKは反応できず、ボールは綺麗にネットを揺らした。
現役ブラジル代表の美技は、Jリーグ20周年の際にベストゴールに選ばれている。
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