1993年(平成5年)
1993年、日本代表はドーハの悲劇を経験【写真:Getty Images】
1993年は日本サッカー界にとって記念すべき年となった。プロ化へ尽力してきた人々の想いが結実し、Jリーグが発足。初年度に参加したのは10クラブで、今では「オリジナル10」と呼ばれている。
●参加クラブ
鹿島アントラーズ
浦和レッドダイヤモンズ
ジェフユナイテッド市原
ヴェルディ川崎
横浜マリノス
横浜フリューゲルス
清水エスパルス
名古屋グランパスエイト
ガンバ大阪
サンフレッチェ広島
サントリーシリーズ、NICOSシリーズの2ステージ制が採用。各ステージでホーム&アウェイ戦を行っている。試合は“完全決着方式”で、90分で勝敗がつかない際は延長戦を行い、スコアが動いた時点で試合終了。延長戦でも決まらない場合はPK戦にもつれこんだ。
勝ち点で争うのではなく勝利数で順位が決定。それぞれのステージ王者がチャンピオンシップを戦い、年間王者を決めた。
Jリーグは社会現象となり、サッカーへの関心も高まっていった。そんな中、日本代表は初のワールドカップ出場をかけてアジア最終予選を戦った。イラクに勝てば初出場が決まるという試合で、日本は開始5分に三浦知良のゴールで先制。後半に同点とされるも、69分には中山雅史が意地の一発を叩き込み、勝ち越しに成功した。
このまま終われば、阻まれ続けたアジアの壁を打ち破ることができる。しかし、後半アディショナルタイムに悲劇が待っていた。ショートコーナーで意表を突かれた日本は、カズが懸命に対応するもクロスを上げられてしまう。そして、イラクのオムラムが放ったヘディングは放物線を描きながらゴールに吸い込まれていった。
まさに悲劇的な形で扉を閉ざされた日本。しかし、ピッチ上に倒れこむ選手たちを見て、ワールドカップがいかに大きな大会を国民が知るきっかけにもなった。