「今ある幸せを絶対に取りこぼさないように」
プロサッカー選手は実力でしか生き残れない世界に生きている。当然、年齢を重ねれば肉体的な衰えを避けることはできないし、それによってパフォーマンスが低下していくのを食い止めるのは難しい。50歳を超えてもJ2のピッチに立ち続ける三浦知良のような存在は例外中の例外。だからこそ「一番楽しい」サッカーをトップレベルでやり続けられる間は、精一杯楽しめるように毎日に全力を尽くす。それが鄭大世の生き方だ。
「僕はサッカーで夢を見させてもらっている。これは現在進行形です。もう若い時とは比べものにならないくらい、今はサッカーが楽しいので。若い頃は『野球選手の方が稼げる』『何で野球やらなかったんだ』みたいな、ない物ねだりとか、取り越し苦労とか、そういういらないことばかり考えていたんですけどね。
今も不安はあるけど、多くのものをサッカーに与えてもらった。キャリアも、ワールドカップという経験もそうだし、愛する美しい奥さんに、かわいい子どもたちに、それなりに年俸ももらってきたし、蓄えもできているし。それさえもできない人だっていくらでもいるのに、自分が今の状況を悲観していたら、その人たちに失礼だと思う。スタメンで出れないにしても、途中から出させてもらっている、メンバー外の人だっていっぱいいるし、その人たちにも失礼になるから。今あるものに感謝してやっています」
サッカーが夢を与えるとは、この世界でよく聞く言葉だ。ただのゲームやエンターテイメントにとどまらない力がある言っても、綺麗ごとに聞こえるしれない。だが、実際にサッカーに夢を見ている、幸せを感じている人々は数多くいる。鄭大世もその1人だ。
川崎フロンターレでプロになり、朝鮮民主主義人民共和国代表として2010年の南アフリカワールドカップに出場。初戦のブラジル戦で国歌斉唱に感極まって号泣していたのは有名な話だ。その後、ドイツへ渡ってボーフムへ移籍、ケルンではブンデスリーガ1部のピッチも踏んだ。水原三星ブルーウィングスを経て加入した清水では、J2降格やJ1昇格も経験した。そうやって幾度となく困難や挫折を味わいながら、その度に立ち上がって前を向いて、夢を見て、懸命に走り、毎日の幸せに変えてきた。
「プロとしてとか、サッカーとは自分にとって何かとよく聞かれるけど、とりあえず自分のできることのベスト、今日1日何ができるかというのを考えることでいっぱいです。ある程度年齢を重ねてきて、引退という言葉がチラついてきていますけど、どこまでやるのか、カテゴリどこまで下げてやるのか、将来が不安になったりするんですよね。だけど一番大事なのは、1日何をできるか。今日どうベストを尽くすかというのと、今ある幸せを絶対に取りこぼさないよう必死にやっています」
夢も幸せもカタチは人それぞれ。エスパルスの背番号9は彼なりのやり方で、理想の姿を見つけ出した。今年で35歳、まだまだ体も動く。14日に行われたジュビロ磐田との静岡ダービーでは先制点を決めて吠え、今季初勝利に嬉し涙を流し、溢れる思いをツイッターにも綴った。サッカーへの情熱が尽きることはない。幸せを両手いっぱいに抱えた鄭大世は、毎日を大切に、これからも走り続ける。
(取材・文:舩木渉)
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