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Jリーグ 6年前

清水・鄭大世が走り続ける理由「僕は夢を見ている」。サッカーで掴んだ両手いっぱいの幸せ

text by 舩木渉 photo by Getty Images

石川直宏に刺激を受けて…

鄭大世
鄭大世は川崎フロンターレでプロになり、一流選手へと成長していった【写真:Getty Images】

 朝鮮大学から直接Jリーグに進んだ初めての選手となった鄭大世を追うように、同校からは続々と実力ある選手が輩出されている。35歳になった魂のストライカーは、夢見る青年から、不断の努力の末に夢を与える一流選手となった。

「朝鮮大学は小平にあるんですけど、自分が大学生の頃も街中には石川直宏さんのポスターが貼ってありました。そうしたら実は1個上で、Jリーグで凄く輝いている姿を見て、凄く悔しかったし、自分も絶対…と思っていました。その後、この味の素スタジアムに来て(FC東京を相手に)ハットトリックを決めて、FC東京からボコボコ点を取ってますよ」

 鄭大世が大学生だった時期は、ちょうど石川が日本代表候補などに選ばれて輝いていた頃と重なる。そして2007年10月のJ1第30節、川崎フロンターレの一員としてFC東京戦に先発出場した鄭大世はプロ入り初のハットトリックで7-0の快勝に貢献。同じピッチには34分から途中出場した石川もいた。小平の街中のポスターで見た憧れの選手の目の前で、大仕事をやってのけたのである。

「それぞれの地域にいる子どもたちは、そこにいるJリーガーたちの姿を見て大きくなるわけで、目標とする選手が、プロチームが各地域にあるJリーグの意味はものすごく大きいと思います。僕も自分の生き残りで必死ですけど、静岡県でテレビを見たり、試合を見に来てくれた子どもが、『ああなりたい』と思ってくれたらそれは嬉しいし、サッカー選手冥利につきる。プロでやっている以上はずっとそういう存在であり続けたいですね」

 鄭大世は夢の先にある幸せを、サッカーで掴んだ。今も少年時代の鄭大世と同じように可能性を信じて前進しようとしている選手たち、子どもたちは静岡県に限らず全国にも多くいるだろう。「昔はやっぱり有名になりたいとか、スターになりたい、超一流になりたい、海外に行きたいという、そういう野心だけでやっていた」という35歳は、夢の追い方と理想の幸せのカタチが、年齢を重ねるごとに変化してきているとも語る。

「今は自分の子どもとかに誇らしいですね。静岡とかで歩いていても、みんな僕のことを気づいてくれるので、子どもは不思議じゃないですか。『みんな何で気づいてくれるんだろう?』って。それが当たり前だと思ってはいると思うんですけど。(子どもたちもお父さんがサッカー選手だと)わかっています。サッカー大好きで、家の庭でいつも一緒にサッカーしています。幸せですね、やっぱり。

自己満になってしまうのかもしれないけど、今はすごく身近なところに満足することができるし、静岡はみんなサッカーに対する関心が高くて、今はエスパルスで楽しいです。本当にエスパルスでずっとやりたいと思っているし、いい時間を送っていますね」

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