不遇も力に変えた中田
そうなると居場所を確保するには、トップ下で勝負をするほかはない。出場した時には良好なプレーもした中田だが、カペッロにはトッティを切ったりCFとして起用したりしてまでポジションを用意する構想はなかった。翌シーズンには強力なEU圏外国人選手が複数移籍し、3人までしか起用できないという規則の関係で中田はベンチにも入れなくなるという不遇を味わった。
もっとも不遇にあっても中田は腐らず、練習を通してコンディションの維持を続けていた。そしてトッティの出場停止により27節のウディネーゼ戦では先発のチャンスが訪れ、芸術的なダイレクトボレーを決める。さらにユベントス戦を前に、なんとEU圏外国人選手の起用制限が撤廃される。晴れてベンチ入りに成功した中田は、冒頭の通りユベントス戦での活躍を果たすことになったのだ。
出場はおろか、ベンチにすら入れないという飼い殺しの状況が続いたにも関わらず、起用されれば活躍ができるコンディションをキープ。これをイタリアのサッカー関係者は高く評価した。翌シーズン、パルマへの移籍にあたって移籍金はむしろ上昇したのである。ユベントス戦のパフォーマンスは、年間を通した練習の蓄積によって培われたものだったのだ。
ただ皮肉なことに、これ以降中田がトップ下として輝くことはなくなった。
3-4-1-2のシステムで定位置が用意されていたはずのパルマでは苦しんだ。試合では中盤のスペースを閉じられ、ボールタッチを増やしたところをプレスで狙い撃ちされてしまう。
成績不振によりシーズン中盤から就任したピエトロ・カルミニャーニ監督は「これまでトップ下では違いを作ることができなかった」という理由で3-5-2のインサイドMFへ修正を命じる。結局シーズンは24試合1得点という成績に留まった。