理想的だったペルージャへの移籍
しかしその決断は大成功だった。シーズン合計で33試合に出場し10ゴール。順応の難しいといわれるセリエAにおいて、最前線のストライカーでもない中盤の選手が2桁ゴールを挙げるというのは稀有なことだった。確かな評価を得たことにより、日本人選手がセリエAや欧州各国リーグへの挑戦に追随する流れが生まれる。彼のペルージャ移籍は、理想的なモデルケースとなった。
まずは、21歳という若さで移籍したこと。日本でのプロ経験が少なかったことは、その分セリエAへの挑戦にあたって修正しなければならないクセも少なかったということだ。
数年後、イタリアに来て違うことを要求されたある選手は「体に一度染み付いたものはなかなか変えられない」と吐露していた。もちろん、若いうちに移籍すれば必ず活躍が保証されるというものでもない。ただ欧州移籍後息長く活躍している選手たちには、やはり若いうちに欧州の地を踏んだ者が多いことは、のちの歴史が証明している。
次に、クラブの補強選手と自らの立場がしっかり噛み合ったということ。ペルージャは昇格組で、おいそれと他チームの主力を引き抜いてこれるまでの規模はない。そこに無名の選手を掘り当て、あわよくば価値を上げて移籍金収入を得てしまおうという補強戦略を取っていた。故にクラブでの実戦経験自体は少なくても、主力としてチャンスを与えられる環境ができていた。
そして自らのプレースタイルが、チームの戦術とほぼ完璧に噛み合ったということだ。「2、3人のDFをかわしてFWにパスを供給できる、優秀なトレクアルティスタ(トップ下)だと見ている。ボールを受け取った時、何をすればいいかを常に理解している」。ノルチャの合宿でその能力を絶賛したイラリオ・カスタニエル監督は、中田にそのプレースタイル通りのポジションをあてがった。