昭和から平成、そして令和へ
「カズさんのために、PKをもらいに行きたかったけど。なかなか前へあがれず、チャンスを作れなかったのはちょっと申し訳ないと思いながらプレーしていました」
岐阜戦でボランチとして先発してカズと共演。故障者が出た関係で前半途中から左アウトサイドに回った37歳のベテラン、元日本代表の松井大輔は苦笑いしながら、濃密な経験に導かれた、ストライカーとしてのカズの嗅覚はいまも衰えていないと太鼓判を押す。
「練習試合や紅白戦ではヘディングでも、あるいはカウンターでもゴールを決めている。点を取れる場所というのを熟知しているというか、最後の最後は常にいい位置にいるので、僕たちとしては助かります。いつかは点を取ってくれると思います」
ブラジルのキンゼ・デ・ジャウーの左ウイングとして、強豪コリンチャンス戦で日本人としてリーグ戦で初ゴールをゲット。三浦知良という名前をブラジル中へ知らしめたのは1988年3月19日、地球のちょうど裏側に位置する日本は昭和63年だった。
その2年後の平成2年7月に読売クラブ(現東京ヴェルディ)へ移籍。日本サッカー界が待ち焦がれたプロ時代の旗手になったカズは、記録にも記憶にも残るゴールを歴史に刻み込みながら、ただ一人、平成の30年あまりをプロサッカー選手として駆け抜けてきた。
「試合に出るときは年齢を気にするとマイナスになるので、あまり考えないようにしているけど。試合に出たくとも出られない選手もいるなかで、52歳で試合に出られることをうらやましいと感じている人もいると思う。その意味でも自分はしっかりと準備して、サッカーに対するリスペクトを常にもってプレーしたい。ピッチに立てたことは嬉しいけど、今日一日で満足はできないし、今日のパフォーマンスにも満足できない。もっともっとよくなることを考えて、これからも練習していきたい」
最年長出場記録を52歳25日に更新した岐阜戦も、キングと呼ばれる男にとっては通過点にすぎない。2017年3月12日のザスパクサツ群馬戦を最後に遠ざかっているゴールを、そしてチームの勝利を貪欲に追い求めながら、もしかするとホーム限定のプレーになるかもしれない今季のカズは昭和から平成をへて、5月からは令和へとつらなるサッカー人生を全力で突っ走っていく。
(取材・文:藤江直人)
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