掴んだ手応え、あくまでもポジティブに
昨季までJ3を戦っていた選手が、J1の舞台に立つ。日本サッカー界であまり見られなかった、驚異的なステップアップ。夢だった舞台で90分を戦い抜いた朴は、これまでのカップ戦2試合の経験も踏まえて、J1で生き残っていくための手応えを掴み始めている。
「(自分の持ち味は)割と出せていた方だと思います。自分がどうしていきたいかという意識の部分で、特にビルドアップのところでは、もっと自分は『ここににパスを出したい』というのがあっても(これまでは)それが自分発信でなかなかできず、安パイなところにつけていた。今日はそれでも自分が出したいところ、こういう意図で出すというのに着眼してゲームができたので、自分の中でそこはすごくポジティブでしたね。
中距離のボールも、前半にマルコス(・ジュニオール)のところ左足で蹴ったのはうまく通ってファウルをもらえて(次に)つながったんですけど、本当にもうちょっとそういうシーンを自分は増やしたくて。もっとプレスをかけてくるチームも多いので、1つ飛ばしてしっかり味方につなげてあげる。今日はそれが3本蹴って1本しか成功できていないので、そういうところ(の精度)をもうちょっと(上げていきたい)。でも、それが今まではできていなかった。やっていいのかな…どうなのかな…という不安を持ちながらやっていたので、今日はもう『考えずにチャレンジしていこう』と思ってやれました。そういうところではすごく成長したと思います」
朴のマリノスでのキャリアは、「ミス」から始まった。周りと切磋琢磨する中で、自然とその「ミス」に対する意識も変わりつつある。飯倉はトライしたが故にうまくいかなくても、それを「ただのミス」と捉えるのを嫌う。数々のトライ&エラーを重ねて築いてきたそのマインドは、新加入の背番号1にも確実に受け継がれていると飯倉は実感している。
「パギもそうだし、俺もそうだけど、そうやって失点につながったら、なんだかんだ連係ミスだ、あーだこーだ書かれるんだから。でも別に俺たちが本当に引きずっている訳じゃないし、ちゃんと意図としてあってやっていること。その『ミス』って俺は勝手にポジティブに捉えていて、それをやらなかったら自分たちのサッカーじゃないという割り切りは俺もパギもちゃんとしているしね」
こうして1つひとつ、着実に積み上げて朴がJ1リーグ戦出場のチャンスを掴んだことは、彼自身にとってだけでなく、日本サッカーにとっても大きな意味を持つかもしれない。朝鮮大学卒業後の2012年、当時JFLの藤枝MYFCに加入した朴は、翌年FC KOREA(現東京都2部)で関東リーグ1部での日々も経験し、J3創設にともなって2014年に藤枝へ復帰。そして2016年に琉球へ移って3年を過ごした。決して順風満帆ではないキャリアを送ってきた選手が、努力を重ねた末にJ1へ。