指揮官の求めるスタイルとのギャップ
結局カズは、代表戦のために第31節のユベントス戦を最後にチームを離脱。残留をかけたプレーアウト(編注:イタリアでは昇格プレーオフと区別するために残留決定戦を「プレーアウト」と呼ぶ)にもジェノアに戻ることはなく、不遇を囲ったまま1シーズンを終えた。
複雑なチーム事情、ケガに加えてシーズン途中の代表招集など、改めて振り返ってみれば外的要因に大きく左右された面は否めない。だが結果を出せなかったという事実は残り、そのゆえにシビアな評価を受けていたこともまた真実だ。
2003年にサンプドリアへ移籍した柳沢敦を取材にジェノバに行った際、地元のベテラン記者から説教に近い批判を聞かされたことがある。
「こちらの常識では、選手はまず実力を評価されて来るものだった。それが逆になってはならんのだ。しかし君たち日本人は、先に金を払って選手をねじ込むということについて何のてらいもない」
カズはブラジルでも、また日本でも十分な実績を挙げたはずだが、そんなものは一切の考慮に値しないと言わんばかりの物言い。その頃はすでに中田英寿がペルージャやローマで実績を挙げていたはずなのだが、なおもそんな台詞が出てきた。ジェノア時代のカズに対するネガティブな評価が、この人に残っていたことの反映だった。
そもそもカズの獲得は、当時のスコーリオ監督の希望に沿っていなかった。ただスコーリオは、決して固定観念だけでカズにダメ出しをしていたわけではなかったことが、当時の発言を紐解くと分かる。
「イタリアでは、ゲームメイカーがサイドに向かってボールを放つなどということはやってはいけないことだ。それならばむしろ、まずセンターフォワードにあてるべき。通る確率は難しくなるが、手数はその分減ってゴールまでの展開がスピーディーになる」
プレシーズン時、地元メディアに対して行った発言である。サイドにも積極的に開き、時には中盤にも落ちて、ボールに多く触ってキレで相手のマークを剥がしていく当時のカズのプレースタイルとは、異なる戦術上の要求をしていたのである。チームに合わせるのは選手だから、監督としては当然のことだ。