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セリエA 6年前

94年、三浦知良。「金を払って選手をねじ込む」“マーケティング主導”の揶揄の中、築いた礎【セリエA日本人選手の記憶(1)】

シリーズ:セリエA日本人選手の記憶 text by 神尾光臣 photo by Getty Images

開幕戦での負傷、チームの混乱…制限される出場機会

 8月14日にはジェノアがパレルモとプレシーズンマッチを戦ったが、パレルモの地元メディアはその時の記憶をこう伝えている。

「GKタッコーニに主将のシニョリーニ、そして元アヤックスのファント・スヒップらのスターに加え、注目を集めたのはカズ・ミウラ。パレルモ人のサルバトーレ・スキラッチが有名となっている日本のJリーグからやってきた彼を見るために、多くの日本人がパレルモまで押し寄せていたのだ。セリエAでは初となる、マーケティング主導の移籍。しかし試合では5、6回ボールを触るのみに終わり、ミウラはハーフタイムで交代させられた」

 もっとも開幕が近づくにつれてカズは調子を上げ、ミランとパナシナイコスとで行われた変則3マッチ方式のコッパ・デル・メディテラーネオでは存在感を発揮。当時のラ・スタンパはミラン戦のレビューにおいて「良いミウラ。スピードと瞬発力があり、スクラビーに素晴らしいアシストパスを供給していた」と評されている。

 そして開幕のミラン戦でスタメン出場するが、前半途中にフランコ・バレージと激突。鼻骨骨折の上に眼窩系神経も損傷し、1ヶ月の戦線離脱となった。

 フィットを図っていたところで、いきなり長期の戦線離脱は痛かった。10月にはアジアカップにも招集され、クラブを離れることになる。ようやくの復帰が10月30日で、フランコ・スコーリオ監督は起用を渋る。ただ、カズの起用を望んでいたアルド・スピネッリ会長と意見が対立。指揮官は辞任をすることとなった。

 先発に返り咲いたカズは12月4日でのジェノバダービーで先制ゴールを挙げたが、翌年に成績不振で監督が代わるとまたベンチへ戻る。ジェノアは下位へと低迷、頭を悩ませたスピネッリ会長が監督を度々更迭するなど、クラブ運営自体に混乱があったことも拍車をかけた。

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