“黄金世代”が次々にスパイクを脱ぐなかで
3月で言えば、鳥取戦の直前に相模原ギオンスタジアムでの練習が行われている。一度だけだったが、小さくてもいいから何かしらの変化を起こさない限りは前へは進めない。チームメイトたちへ言葉をかけ続けることを含めて、継続していくことが何よりも大事だと稲本は力を込める。
「J3やからこの環境でいいや、となってしまう方がダメだと思うので。同じ環境でこちらが我慢するのではなく、何かを言ってできないのであればもっと、もっと言い続けていくしかない。そうじゃないと何も変わらないからね」
率先垂範の行動力だけではない。鹿児島県で産声をあげた後にすぐ移った大阪の地で育まれた、稲本の陽気で明るいキャラクターに望月代表も目を細める。
「もちろん、まだまだできるのでオファーを出しましたし、実際にモノが違う。夏場を迎えるあたりまでに(完全に)フィットしてくれれば」
17年もの歳月は、かつての盟友たちが置かれる状況をも変えた。2002年の日韓ワールドカップをともに戦った23人のなかで、いまも現役でプレーし、あるいはチームに選手登録されているのはGK曽ヶ端準(鹿島アントラーズ)、MF明神智和(AC長野パルセイロ)、FW中山雅史(アスルクラロ沼津)、そして札幌でチームメイトだったMF小野伸二だけになった。
このオフには川口氏だけでなく、日韓ワールドカップで日本のゴールマウスを守った楢崎正剛氏、そして黄金世代と呼ばれた同じ1979年生まれの小笠原満男氏が相次いでスパイクを脱いだ。
「もっとやれるやろう、という思いもありましたけど、彼らが選択したことなので。寂しさはありますけど、次のステージで頑張ってほしい、という思いももちろんあります」
【次ページ】「もっと高い意識をもって取り組んでいかないと」