4バックへ移行後は右サイドバックに
チーム事情を鑑みれば、田所諒、川崎裕大、開幕直前に加入が決まった元日本代表の伊野波雅彦(前ヴィッセル神戸)と、最終ラインの選手にけが人やコンディション不良が相次いでいた。スクランブルではあるものの、それでも奇策の類ではないとタヴァレス監督は力を込めている。
「松井はヨーロッパで何年もプレーしていた選手なので、他のポジションでプレーしたときに、どのようなことが求められるのかをよく理解している。相手へのマークも非常にタイトだったし、よく戦っていたし、ビルドアップの部分でも非常にいいものをチームに与えてくれた。リベロでのプレーに関しては、特に問題はなかったと思っている」
2004-05シーズンの開幕直後に、J2の京都パープルサンガからフランスリーグ2部のル・マンへ期限付き移籍。1部に昇格した翌シーズンから完全移籍に切り替えた松井は、ジュビロ磐田での3年半をはさんでヨーロッパの4ヵ国、延べ9チームに所属している。
フランスを皮切りにロシア、ブルガリア、ポーランドと文化も習慣も、もちろんサッカーのスタイルも異なる国でプレーした濃密な経験が、松井の引き出しには詰まっている。未体験となるポジションに対応できる材料が、必ずや存在するはずだとブラジル人指揮官は確信していた。
だからこそ、松井に対する質問が続いた直後にメディアへ逆に質問したくなる衝動に駆られ、抑えきれなかったのだろう。1点のビハインドで迎えたハーフタイム。指揮官は「真ん中とサイド、どちらがいいか」と実は松井に問いかけている。
前半はなかなか攻撃が機能しなかったこともあり、後半開始からFW戸島章に代えてFWイバ、右アウトサイドの北爪健吾に代わって17歳のFW斉藤光毅を同時に投入。システムを[3-3-2-2]から[4-1-3-2]へ変更するのに伴い、松井に意向を聞いている。
「4枚のセンターバックはちょっと厳しいかなと思って、サイドでお願いします、と言いました」