独特なリズムのドリブル。チリで作られたその下地
しかも、バンクーバー・ホワイトキャップス戦の87分には、果敢に仕掛けたドリブルからPKを獲得。自らキッカーを務め、大胆不敵にもど真ん中へ蹴り込んで勝利を手繰り寄せた。
「PKを獲得した直後に、チームメイトたちが『バイロンが行け、蹴れ』と後押ししてくれたので『よし、蹴ってやろう。それも真ん中に』と思いました。真ん中へ蹴れば絶対に入る自信がありました」
埼玉スタジアム内の取材エリアで声を弾ませ、表情を輝かせたバスケスへ、ちょっと意地悪な質問が飛んだ。味方から「行け」と言われなかったら、どうしていたのか、と。
「それでも自分が行っていましたね。キッカーがいない状況だったので。そこは強気で、自分が蹴らないといけない、という気持ちにならないと」
利き足の左足を駆使しながら、独特なリズムが奏でられるドリブルは、生まれ育ったチリで下地が作られた。いまでもよく思い出すという6歳か7歳ごろの記憶には、従兄弟と必死になって繰り広げた、南米ならではのユニークなドリブルの練習が刻まれている。
「ボールを使わずに、シミュレーションの練習をしていました。どちらが巧くこけられるかって、真剣になって競い合って。なので、僕の切り返しには誰でも引っかかります。小学生のときに大人とサッカーをしても、切り返しだけは無敵でしたから」
9歳のときに家族とともに来日してからは、埼玉・東松山市内にある実家の前に広がる公園が練習場になった。中学時代は東松山ペレーニアFCジュニアユースで「10番」を託されていたバスケスは、練習を終えて帰宅してからは徹底して個人技を磨きあげた。
「暇さえあれば一人で、ひたすらドリブルしていました。マーカーをいくつも並べて、相手選手だと思って抜き去っていました。日本で本格的にサッカーを始めて、ドリブルをするとPKを多くもらえたんです。倒れ方がプロみたいだ、とよく言われて」