拘束の要因はまさかの“ミス”!?
筆者は豪州プロサッカー選手協会(PFA)のニュースリリースで昨年11月の発生後まもなく、この事件を知った。すぐにアル・アライビが昨季所属していた豪州・ビクトリア州1部(豪州2部相当)ナショナル・プレミアリーグ・ヴィクトリア(NPLV)のパスコー・ヴェールで以前プレーしていた知人に連絡するなどして情報を収集したが、正直、問題がここまで長期化するとは思っていなかった。
というのも、「政治難民」という立場にある彼が今回のような不当な拘束を受けるのは、何かの間違いとしか考えられず、早期解放が実現するという見立てだった。しかし、筆者や大方の関係者の予想に反して、事態は長期化の様相を呈した。
アル・アライビの不当逮捕は、すぐに人権侵害として国際問題化する。その当事国は、アル・アライビの出生国であり彼の身柄の引き渡しを求めたバーレーン。そして、バーレーンから政治亡命した彼を難民として受け入れた豪州。最後に、彼をを3ヶ月に渡って拘留したタイの3ヶ国だ。
昨年11月末、新妻とタイに到着した直後、アル・アライビは現地当局により身柄を拘束された。バーレーン政府の依頼によるインターポール(国際刑事機構)の国際指名手配犯としてタイ当局が逮捕・拘留したのだ。
この逮捕は、本来であれば起こりえない明らかに不当なものだった。というのも、豪州政府から「政治難民」認定を受け、同国内での永住権を得る彼の国際指名手配は無効なはずなのである。国際法上、難民認定を受けている人物を国境をまたいで訴追することはでいないはずが、なぜか「ハキーム・アル・アライビ」の名前は指名手配犯リストに残っていた。それを受けて、タイ当局はアル・アライビの身柄拘束に踏み切ったのだ。
彼自身も事前に豪州当局に何度も確認して「バーレーン以外であれば問題ない」との言質を得たうえでの出国だっただけに、想定しない事態が起きて愕然としたことは想像に難くない。さらに言えば、このような想定外のケースの発生に、豪州政府も大いに泡を食ったはずだ。
そもそも、なぜバーレーン代表に選ばれるほどのサッカー選手が政治亡命に至ったのか。その経緯を簡単にさらっておく必要がある。いくつかの報道に上がっている事実から判断すると、以下のような流れが見えてくる。