悲壮な覚悟を持って戦い抜いてきた長友佑都
「このアジアカップで個人的に活躍できなかったら日本代表に呼ばれないだろうと思ってます。それは世間一般の考える年齢の部分。僕自身は『そんなの関係ねえ』って思うけど、実際には関係ある部分。いいパフォーマンスをチームで出せなければ、もう代表には呼ばれないって覚悟で僕は臨んでます」
長友佑都(ガラタサライ)が悲壮な覚悟を持って戦い抜いてきた2019年アジアカップ(UAE)で、ご存知の通り、日本は2大会ぶり5度目の優勝に王手をかけた。自身2度目となるアジア制覇まであと一歩。だが、その一歩がどれだけは難しいものかを、彼は8年前の経験から熟知しているはずだ。
2011年カタール大会を今一度、振り返って見ると、日本は準決勝・韓国戦(ドーハ)で延長・PKの死闘を制してファイナルへ進んだ。この試合でエースナンバー10をつけていた香川真司(ドルトムント)が右足第5中足骨を骨折。離脱を余儀なくされるアクシデントに見舞われた。
決勝では藤本淳吾(G大阪)が2列目で先発。途中から岩政大樹(解説者)が入って相手のハイボール攻撃を跳ね返し続け、延長後半に李忠成(横浜FM)が値千金の決勝弾をゲット。一進一退の攻防の末、総力戦でタイトルをつかむことに成功した。
今回も8年前同様に準決勝で遠藤航(シントトロイデン)という主力のケガ人が出ていて、戦力的に厳しいのは確かだ。
「中東マスター」の塩谷司(アルアイン)はカタールのクラブとの試合経験もあって心強い存在だが、いかんせん柴崎岳(ヘタフェ)とのプレー経験が少ない。ボランチが機能しなければ、攻守両面で穴が生まれる可能性もあるだけに、細心の注意を払う必要がある。8年前の日本が香川離脱を糧にしたように、今回は遠藤という重要なプレーヤーのケガをより一層のチーム結束の起爆剤にすること。それが非常に重要なのだ。