ハードすぎるべイランバンドの人生
現時点でアジア最高のGKと見られている、それほど体の大きくないオーストラリア代表のマシュー・ライアンとはプレースタイルは全く異なる。それでもべイランバンドはライアン同様に欧州のトップレベルでも十分に通用する能力を持っている。
体を目一杯伸ばして際どいコースに飛ぶシュートを弾き出し、味方がかわされれば鋭い飛び出しで相手との間合いを詰めて1対1を制する。そして正確無比なパントキックや代名詞ともなったスローインで反撃のきっかけを作り、確かなテクニックでビルドアップ時の起点にもなれる。
長身を生かしたクロスセービングもお手の物。先に述べた通り、PKセービングも大の得意としている。そして特筆すべきはリアクションの速さだ。手足が長く身長192cm体重81kgと大柄なべイランバンドだが、一度体勢を崩されて地面に倒れても、驚くべき速さで起き上がって次の動きに移れる。
体が大きいが故にグラウンダーの速いシュートに反応が遅れがちになったり、左右に大きく振られた際に体の軸がブレてポジショニングが曖昧になったりする傾向が見られるものの、そういった弱点が小さく見えるほどに長所が際立つ。とにかく規格外の守護神なのだ。
そして、べイランバンドはかなりハードな人生を歩んできたことでも知られている。現在26歳のイラン代表は1992年9月21日、遊牧民の家庭に長男として生まれた。最初の仕事は家業でもある羊飼いで、その合間を縫ってサッカーに興じていた。しかし、「僕の服やグローブも破ってきた」というサッカー嫌いの父親には、プロのGKになるという夢を受け入れてもらえなかった。そこで自らの情熱を貫くべく12歳で家を出て首都テヘランに向かう。
当初べイランバンドはストライカーだったが、けが人などがいる際にGKとしてもプレーし、そこで才能を開花させていく。親戚にお金を借りて辿り着いたテヘランでは、プロ選手になるために地元のクラブでプレーしながら、道端で寝起きする生活を送っていたという。いわゆるホームレスだ。
その後は服飾工場や洗車場、ピザレストランなどで働いて食い扶持をしのぎつつ、ある偶然によって契約したナフト・テヘランの下部組織で技を磨いた。相変わらず寝る場所を確保するのには苦労したが、他クラブへの練習参加とそこでの負傷によって契約解除、ナフトとの再契約を経て才能が本格開花。U-19代表、さらにU-23代表入りも果たし、クラブでは正守護神へと上り詰めていく。